クリエイティブサポートレッツの久保田翠さん、アートコーディネーターの青木あきこさんと、時々飲み会をやっていて先日も久しぶりに集まりました。
今や押しも押されぬ全国区の人となったアグレッシブなアクティビスト久保田さん、幅広い教養と知性、鋭い洞察力をもってボトムアップで浜松の文化を育ててきた青木さん、このふたりとまみえることは私にはとても刺激になります。
久保田さんの話で残ったこと。
重度障害のご長男たけしくんがもう自立していく。こんな大変な世話のかかる人、私がいなくては無理と思っていたけれどそうではないらしいのよね、
たけしといると楽しいと言ってくれる人がいる、たけしにはファンがいるんだよ、と。
久保田さんよかったねと思うと同時に、誰もが社会の中で育て合うというその考え方は、たくさんの人の励みになる、と感じました。
たとえば、私は、介護度3の母を実家で一人暮らしさせています。
させている、という表現をすること自体、本来は娘である私が母の面倒を見なければならないのに、という前提を含んでいます。
そんな風に自分で自分を縛ってしまうわけです。
母には母の生活があって、実家に住み続けたい希望があります。そして、本当にありがたいことに、たみ子さんに会うのが楽しみ!と言って通ってくれるヘルパーさんや、仲良くしてくれるデイサービスでのお友達がいます。
世の中には高齢者や障害者の介護を仕事にしている人たちに対して少しバイヤスをかけてみてしまう傾向がある気がします。
本来やりたくないことなのに仕事だからやっている、のではないかという思い込みです。
そしてその思いは私の中にもかすかにあったことを認めます、ただただヘルパーさんたちにいつもありがとうございますと頭を下げてきたわけですが、その感謝の中に、やりたくない仕事をやってくださって、という気持ちが含まれていたのかもしれません。それは本当に失礼なことだったと思います。
障害者の姉の状態が良くなくて、別の施設に移らせるかどうかの面談が先日あり、姉の担当の職員さんが、涙を流して姉の足をさすってくれていました。のりこさん行っちゃうの?と。
久保田さんの言葉を借りれば私の姉もまた母以上に「こんなに大変で世話のかかる人」ですが、こんな風に姉を愛してくれている人がいるんだとその時思いました。
誰かが誰かを好きでいる、ということは本当に素敵なことです。
年上からも年下からも男からも女からもお年寄りからも子供からも、好きになってもらえるのはとても素敵なことだし、
年上の人のことも年下の人のことも、同性も異性も、お年寄りも子どもも、健常者も障害者も、好きになれる自分がいたらそれは素敵なことなんだと、そういうことを思わせてくれた久保田さんの言葉『たけしにはファンがいる』でした。
誰かのファンである自分のことも、ちょっといいなと思っていようと思うし、もしも誰かが私のファンになってくれたとしたらそれは相当なことだと思います。