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あいちトリエンナーレ2019、開幕から一週間、「表現の不自由展・その後」の展示中止からは4日がたとうとしています。 この一週間、SNSや各種メディアの情報に釘付けとなっていました。 何をしていてもそのことが頭から離れなかった。炎上記事の言葉に触れていると疲れ果ててしまうのですがそれもやめられませんでしたし、私の考えを代弁してくれているようなツイートを見れば、この人はしっかりと言葉にして発信できているのに私は、、と思ったりしていました。 とりあえず、一人の表現者として、一人の市民として、自分が見たことの記録と感じたこと考えたこと、今思っていることを書いておこうと思います。 7月31日午後から夕方にかけて、名古屋市美術館と愛知芸術文化センターの二会場を見ました。(一般公開に先立って行われる内覧会というものです。) 名古屋市美術館では、気になっていたモニカ・メイヤーの作品に参加してきました。過去に経験したセクハラについての記述を残すというダイレクトなものでしたが、自分の体験を書くことに大変なエネルギーを使いました。 青木美紅という22歳の作家の刺繍インスタレーションがものすごく面白かったのは、自分もずっと刺繍ドローイングをしているからかもしれませんが、若さゆえなのか、新感覚とエネルギーに満ち溢れパワフルで圧倒されました。。。 という風に私のあいトリ鑑賞は始まりました。 問題の『表現の不自由展・その後』は、愛知芸術文化センター8階の奥まったところが展示スペースでした。 名古屋市美からタクシーで移動、芸文センターは10階からの鑑賞ルートだったので、この展示に行き着いた時には閉館時刻の17 時が迫っていました。 会場に足を踏み入れるとそこだけが何か違った雰囲気というかちょっとした熱気に包まれていた感じがしました。他の展示会場より人が多い印象だったのは展示作品の数に対してスペースが狭かったからかもしれませんが、やはり注目企画であったからでしょう。テレビのクルーもいて、鑑賞者や作品を丁寧に撮影していました。 会場入り口から作品の一つ一つキャプションを読みながら進んだのですが、こんな作品があったのですね、そして展示が中止になったのですね、と自分の無知を知らされていったというのが素直な感想です。 昭和天皇の写真を使ったコラージュ作品や、その作品が展示されなかったことへの別のアーティストからの抗議の手紙、図録を焼いた灰が展示されていました。 私は、嶋田美子さんの、手紙と灰の作品はアートだと思いました。 Chim↑Pomの『気合い100連発』の映像がありました。え?これも今では不自由なの?ととても驚きました。東日本大震災直後の瓦礫の中で若者たちが円陣を組み気合いの言葉を一人ずつ大声で言っていくという映像、過去にも見たことがあります。これのどこがいけなくて展示中止になったのかわかりませんでした。この「表現の不自由展・その後」展の中で一番表現の不自由を伝えてきた展示です。2011年から今現在までの間にこんなにも社会は息苦しくなったのかと。 五美大展で展示拒否された学生さんの作品がありました。 『お土産の菓子折り』が作品でした 『アルバイト先の香港式中華料理店の社長から「オレ、中国のもの食わないから」と言われて貰った、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子』というタイトル、テキストが添えられていました。国立新美術館は、ナマモノだから、腐敗するから、という理由で展示拒否をしたそうですが、それは表向きのことと伝わる展示でした。 五美大展には時々足を運んでいますが、香港のお菓子が差別について考えるテキスト付きで卒業制作として展示されていたら、五美大展面白いねと言われるようになるのにと思いました。 『平和の少女像』は奥の方のスペースにありました。 ミニチュアの鋳造品と、実物のFRP作品、少女の隣に座ってみてくださいの椅子、が並んでいました。 少女像はとても文学的な彫刻に感じました。 裸足の両足のかかとが浮いていました。 自分の足を地につけることができないこのありかたは、日本軍の性暴力の対象とされた女性は、母国韓国でも汚れた女性として扱われ、受け入れてもらえなかったことをあらわしているそうです。自分の居場所をなくしてしまった少女、自分が地に足をつけることができない少女の裸足の足。 このことを知れば、この少女像が反日のシンボルとして作られたものでないことがわかると思います。 肩に止まっている小鳥、膝の上で握られた二つの手、おかっぱの髪の不揃いな切られ方、などにも作者の思いが込められていることも後から知りました。 少女像の後ろの床には影が表現されていて、それは慰安婦の女性たちの人生の時間をあらわしているそうですが、この影のことは気づきませんでした。 少女が椅子に腰掛けていたから、彫刻の高さは私の身長よりも低くて、私は少女の頭を撫でてあげたいような気持ちになりました。 過酷な人生を歩まされた女性たちへの思い、それを引き出してくれたこの彫刻は佳作であると思います。 だからこそ、思うのですが、展示の仕方が少し気の毒に思いました。 一人一人がこの少女の像をもっと大事に思いその隣にそっと座ってみたくなるような展示にしてあげたかったと思います。 表現の不自由に関する緻密な年表がありました。 この国で、展示まかりならぬとされた作品や、展示が中止にはならなかったが、主催者側がナイーブな対応を余儀なくされた例など、とても丁寧にわかりやすく『表現の不自由』について時系列であらわしてありました。 時間が足りず全部を読めませんでしたが、こんなにもたくさん!ととても驚きました。 政治性が強いもの、左翼的なイデオロギーが濃厚なものばかりではなく、例えば、数年前、森美術館での会田誠『天才でごめんなさい』展での『犬』シリーズのことものせられていました。障害者団体からのクレームがあって展示制限が行われたといった事だったと思います。 こうしたことからも、『表現の不自由展・その後』は、思想的なものが軸になっているのではなく、表現の不自由についての過去の例を伝え、こうしたことについてあなたはどう思いますか?と問うている展示であることがよくわかりました。とても明快な展示で、それに対して私は素直な鑑賞者であったと思います。 ただ、作品の一つ一つが資料扱いな感じだったことが、作家としては少し気になりました。 作品一つ一つに対して、作者ひとりひとりに対して、もっと丁寧に寄り添う展示はできなかったのかなと。 もちろん、資料的に扱うからこそ、企画のコンセプトが明快でわかりやすかったのですが。 「表現の不自由展その後」の再開は厳しいかも知れませんが「『表現の不自由展・その後』のその後」を、作っていけばよいのではと思います。 こんな風に思う私は楽天的過ぎるでしょうか。 あるいは、作っていかなくても、歴史が伝えてくれるのではないかと思います。何がアートであるのか、ということも含めて。 大きな声をあげたり大きなことをしたりすることは私にはできそうもありませんが、私が私なりに考えてやれることをして行こうと思います。時には誰かと一緒に、ということも大切かも知れません。 中止はとても残念に思いますが、いろいろな動きも出てきたようですし、しっかり見て行こうと思います。
by hisakoinui
| 2019-08-08 01:24
| みてきた展覧会
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