旅の備忘録を続けます。
到着初日、まずは海でイルカと泳ぐための練習。(前回の日記ここまで)
その後、小笠原ビジターセンターという東京都立の文化施設に行きました。小笠原は東京都です。
小笠原の歴史、自然、文化、社会、がわかりやすくパネル展示されていました。DVDによる説明も多く揃っていましたが閉館時刻近く、展示のみ急いでみました。
船の中で読んできたことがさらにわかりやすくパネル展示されていました。
1944年の強制疎開以前の小笠原は、本当に豊かな島だったと知りました。自然はもちろん経済も。
広大なさとうきび畑や豊富な海の幸などで、島民の平均年収は当時の教員の年収の約5倍だったそうです。
敗戦後、島民はすぐには島には戻れず、島は長くアメリカの占領下にあり返還は1968年。
1952年時点で、強制疎開した小笠原島民の85パーセントが生活困窮世帯となったとありました。
これは、山歩きツアーでガイドさんに聞いたことですが、強制疎開の時、島民のほとんどが、戦争さえ終わればすぐに島に戻れると思っていたそうです。だからほとんど何も持たずに島を出たそうです。
『自然』の方も、この空白の24年間に、外来種の動植物生物が増え、小笠原本来の美しい自然は荒れていったそうです。
私は、人があまり住まない20年が、小笠原の自然を美しく保ったとばかり思っていたので、この事実には驚きました。
返還後の、自然保護への島民のたゆまぬ努力が今の美しい小笠原に再生させたのだそうです。
おがさわら丸に乗船する時、靴の裏を掃除するような濡れたマットの上を数メートル歩きました。
おそらく木酸液だったのでしょう。
靴の裏の清浄は、有無のツアーの船に乗るときも、山歩きで森の中に分け入っていくときもやりました。
小さな種の一粒が、この美しい島の自然のバランスを壊す脅威になるということなのでしょう。
世界遺産に指定されてからはますますこの取り組みは大切になされているようです。