八月が終わってゆきます。
同タイトルの番組をEテレで見ていて、死にたくなるほどの気持ちを持つ若者への自分の鈍感が恥ずかしくなってしまいました。それで最後まで見ることができませんでした。
小笠原日記も、そのほか書きかけては非公開にしている日記もたくさんですが、とりあえず、このひと月を振り返ることにします。
佐鳴湖花火の夜 NANI部の若者たちと久しぶりにご飯の会。もう学生はいなくてみんな社会人で、みんな立派だなあ。私一人が子どもみたいでした。みんなよく来てくれました。
作品の撮影 アトリエで一日中 写真家の寺田さんと。駄作も多いけど好きな作品もある、いいと思う作品もある。もっと描きたい作りたいと思った。他者の眼差しって大切だとも。
みらーと 西部のレクチャーとくじドロワークショップ。『くじドロは拡張する』というタイトルでブログを書きかけている。障がい者支援の当事者たちとの時間。多くを学びました。
福島県立博物館『興福寺と会津』展 興福寺の仏像が全然違って見えました。興福寺では見ることができないところまでみました。
県博の人たちに会いたくて行きました。会えてよかったです。
帰りには足利。会津の途中の猪苗代はじまりの美術館に寄れなかったのは残念。
会津若松でも足利でも、会う人とあいちトリエンナーレの話をしました。
8月前半は、ずっとそのことを考えていたように思います。ツイッターの通知音が鳴り続けていました。
足利から東京。
THE LIBRARY展/トキアートスペース/青山
この企画があるから本のアートを毎年ひとつずつ作り続けているんだということに気付いた今年でした。
姑の遺品整理 横浜から義姉とその長男が来てくれて、私の夫、三男の5人で。大仕事でした。
おかあさんのことをたくさん思いました。私は最大限の愛で彼女と生きられただろうか。
遺品を整理することは、残された人の人生を整頓することでもありました。
こども絵画コンクールの審査の仕事。
こどもの絵はけがれがなく純粋だ、という予定調和は横においても、認めざるを得ない何かがある、彼らの表現には、いつも。
そしてこどもの絵にも流行があり現代がある、といったことを思いました。
今福龍太さんのレクチャーを聞くために7月から毎月曜日の夜、横浜に通っていましたが、8月26日が最終日でした。クレオール主義について予習してから臨みました。テキストは『小さな夜を越えて』
方法論というか視点というか、そうしたものが私には新しかった。
知ってきたと思っていた多木浩二や東松照明についても新しく知りました。
夕方の新幹線に乗って最終のひかりで帰宅、なんてことが案外やれてしまうのでした。背中に羽根が生えていたようです。もうどこにでも行けます。知らないことがこんなにあることがわかったし飛んで行かなくては。
夏休みの宿題は、姉のこと、でした。
宿題というか、自由研究、でしょうか。
小笠原の海を見ていても、そのことについて考えていましたが、たとえ今、姉の危篤を知らされても
駆けつけられないところにいてみれば、私は、何か、諦める、ということを身につけたかもしれません。
読書はいくつかしましたが、アキール・シャルマの『ファミリーライフ』の再読が一番残っています。