3年生の授業は一月で終了するので、今年の5分間美術史はもう最終回です。
美術史の授業をまとめてやるより、少しずつ授業始めに話してみようと思い立って始めた5分間美術史。
実際はなかなか五分では終われず、制作時間に食い込んでしまったのが実際でしたが、生徒たちはよく聞いてくれたと思います。
だれかの言葉をなるべく引かず、その作品に対して思うこと自分なりに知ってきたこと伝えたいことを自分の言葉で表すように努めました。それは多く自分の勉強にもなりました。
毎週では多すぎると思い、隔週ぐらいのタイミングで行いましたが、12回ではとてもとても語りつくせません。
A4一枚にまとめるということも、自分でもうけた字数とはいえ、短く簡潔にど真ん中にというのは難しいことでした。
最後に取り上げたのは、ジョージア・オキーフです。
20世紀の女性作家の代表格。
冬休みに、若桑みどりの「女性画家列伝」を再読しましたが、その中にはありませんでした。きっと1985年の若桑みどりはまだオキーフに追いつけなかったのでしょう。あとがきで少し触れていましたが。
美術の教科書を作っているのはおそらく男性なので、オキーフの作品の解釈は、造形的な側面が強調されています。
でも、女である私は、オキーフが花というモチーフに肉薄して描く本質を感じざるを得ません。
そのことを、ジェンダー論交えて高校生に伝えたかった。しかも五分で!でもそれはやはり無理でした。
それでも、教科書に載っていないオキーフ作品をいくつか見せることができ、それだけは良かったかなと思います。
以下、配ったプリントの内容です。
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ジョージア・オキーフ
1887~1986
ラベンダーアイリス
油彩・キャンバス/61×50.8cm/1951
1学期に花のスケッチをしましたね。その時の自分の作品を思い出してください。私も含めてですが、花を描くときはオキーフのように画面いっぱいに描こうとは思わず、花と茎と葉の美しいバランスを考えながら花の姿を伝えようと思います。自分とオキーフの違いをまずは感じてください。
ジョージア・オキーフは、20 世紀のアメリカを代表する女性画家です。 70 年の画業の中で、ほとんど花、骨、風景だけをテーマに描き続け、 特に花の作品は数多く、有名です。
花というモチーフは、多くの画家が描いてきたものですが、それぞれの 画家の視点から、花に対する思いや考えが伝わってきます。(教科書参照)
日本の美術の伝統の中では、花鳥風月というモチーフのジャンルがあって牡丹や桜、燕子花(かきつばた)などが繊細にあでやかに描かれてきました。
それではオキーフの描き方はどうでしょう。もちろん美しく描いているのですがこの肉迫の仕方は、この人だけのものです。花に対して自分自身の身体や命を重ねているかのようです。花は可憐で素敵、という抒情ではなく、花を描く私がここにいる、私はここで生きている、ということを花を描くことで伝えようとしているようにも感じます。この、教科書のアイリスの花の絵は、表現としてはまだおとなしく具象的ですが、図2では、花弁にさらに肉薄して大きく描かれるフォルムが、女性の生殖器を彷彿とさせさえするインパクトと生命感があります。オキーフにはこうした作品が多くあります。
女性の自画像として花弁をそのように描いたということではありません。女性にしか感じられないものを描いたとオキーフは自分の言葉で語っています。それは何なのか、女子のみなさんに、ぜひ感じ考えてほしいし、男子にも、即物的なイメージを超えるものを想像してほしいです。
女性の絵描きの歴史は浅く、近代以前の美術の歴史に名を残している人はほとんどいません。絵描きのみならず、 すべての職業は男性のもので、女の靴屋がいないように女の絵描きも居なかったわけです。居たのは靴屋の妻で あり靴屋の子を産む母としての女です。 近代以降は少しずつ女の絵描きが現れ、オキーフが生きた時代には少しは門が開かれていました。でも闘いは相 当あったでしょう。
天竜区に秋野不矩美術館があります。日本画家秋野不矩の作品を見ることがで きます。 長い画業、数少ない女性画家の草分けという点で、誤差はあるかもしれません が、秋野不矩はジョージア・オキーフと重なります。ぜひ、訪れてみてください。
今日は、教師としてというよりは、女性の表現者の一人として、ずっと憧れて きたオキーフを紹介してみました。