4月14日
臨床心理士である夫が、豊田市の中学校までカウンセラーの仕事で出かけるという。休校中だから給食がなくお弁当が必要という。学校がお休みでも常勤の先生、事務室、保健室諸々は通常通りという学校現場はどの自治体でも同じのようです。
夫のお弁当を作るのって何年ぶりでしょう。
スクールカウンセラーの日は給食をいただいているし、そうじゃない時は外で食べたい人なので。
息子たちのお弁当作りが楽しかったことを思い出した今朝でした。
午前中の柔らかい光の下、庭で、花のスケッチをしました。専用のスケッチブックがあってそれに描いています。一人の友達以外、他者に見せたことはありません。線描で、柔らかく細かく花を描くのは楽しいです。日本画の人たちがよくやる鉄筆描法というのかもしれません。ドローイングの裏付けになるのかなどあまり考えずにただ楽しく描いています。
お昼前に、夫と同じ内容のお弁当持参でアトリエに。
F8の水彩紙へのドローイング二枚。
途中で友達のラインに返信したりツイッターを見たり。花のスケッチのこと伝えてみたら友達に褒められて嬉しい。人はいつでも褒められたい存在なんだ。
オザケンの6月ライブは中止とツイッターで知る。無理だろうなあと思っていたけれどやっぱりと残念です。
ライブって本当に本当に楽しみで、そのためにいろんなことが頑張れる!という気持ちは私みたいな歳になってもそうなのだから、若い人たちはもっとでしょう。そして何より当事者たちも。そしてライブは大きな文化的経済活動であることもよくわかります。
夕方FBで、今度は10月の遠州横須賀街道ちっちゃな文化展の今年の開催中止を知ります。
10月のイベントについてのこの時点での決定は英断だと思いました。
同時に、なぜそれができるのかということもはっきりとわかりました。
主催者である横須賀倶楽部はあの街並みにすむ有志の集まりで、ただ街への愛だけで活動そのものも全て自前でやってきました。
そのやり方で、3万人の人出をもたらし、芸術文化によるまちおこしに成功してきたのですが、そのやり方だからこそやるもやらぬも自由なのです。
ちっちゃな文化展は参加してもアーティストフィーが出るわけでもないしお弁当以外自前なので作家においても中止になっても損害はありません。逆に参加費を取られたこともありません。
だからやってもやらなくてもというものでは全くなくて、私は中止がとても残念だし、そう思っている人がとてもたくさんいると思います。
ちっちゃな文化展はある意味とても純粋な文化イベントなんだということがこの度のことではっきりとわかりました。
コロナ禍が露わにすることが大小さまざまある日々です。
今日は、誰にも会わず、夫以外言葉も交わさずに過ごしました。