6月16日 火曜日
急転直下、姉が特別養護老人ホームの入所が決まり、今日はその引越しでした。
一級の手帳を持つ障害者の姉は、6年前から、共同生活をするグループホームで暮らしていましたが、ホームでの暮らしがもうできないような状態に少し前からなっていました。自立歩行ができない、発語がほとんどない、全介助でなければ食事ができない、固形食が食べられない、浴槽に一人で入っていられない、身体が常に硬直しているといった状態です。
これはもう特養のお年寄りと同じ状態ですが、彼女は私と3歳しか違いません。
ネットで調べたアメリカの研究によれば、姉のような障害の場合、平均寿命は57歳から63歳。
64歳の姉はもうじゅうぶん生きたということになるのでしょうが健常者のそれに比べればあまりにも短いと感じます。
日本の福祉の現場では、姉のような『高齢の』障害者の受け入れ先は、特別養護老人ホームということになります。それでもなかなかすんなりとは入所できません。他の高齢の方々と同じように待機し、順番を待ちます。
一年前から待っていた姉に突然『順番』が来たというわけです。
この順番ぎめは毎月更新されており、必要度の高い人が優先されていく仕組みのようです。一年前は30番だったのに、空きが生まれた今回、姉の状況は最優先者となっていたようです。
最大限のお世話をいただき、施設の職員さんたちに愛されて過ごした『まあがれっと』に別れを告げ、仲良くしていただいた他の入所者さんたちに挨拶して、茶町を後にしました。
お茶屋さんのたくさんあるこの町で、姉を訪れるたびにあのお茶このお茶買って帰ったものでした。
特養に着くとスタッフの皆さんが待っていてくださり、家族とのミーティングがまずはありました。
共同生活のホームとは違って、看護師さんは常駐、栄養士さん、理学療法士さんなど専門のスタッフがいて、それぞれの説明を受けましたが、一番最初に聞かれたことは、どのように看取りたいかということでした。
経口での食事ができなくなった時、延命治療を望むか否かということです。
弟と私とで意見が分かれました。私は望まない、弟はチューブや胃ろうで栄養をとって延命ができるならそれでも、と思うようでした。
弟が姉に会うのは半年に一回ぐらい。今日も仕事を休んで来てくれましたがこの頃は会うたびに彼は目に涙を浮かべます。なぜこんな姿にと思っているのが伝わります。
毎月会っている私は自然な終わり方が幸せではないかと考えます。
自分がほとんど姉のことに関われていない遠慮からか弟は私の考えを受け入れましたがそれでも、その時にまた考えさせてくれるんですよねと職員さんに念を押していました。
私はおそらく薄情な妹なのでしょう。
でも姉はもうじゅうぶん頑張って生きたのではないかと、そう思ってやることだって姉を思うことではないかと思います。だから自然な最後を用意することの方が姉のためではないかと考えてしまいます。
もちろん、どんな人でも生きていることただそれだけで意味があるのだから、その考え方にはもとることになりますが。
入所の初日の最初の最初にこんな大きな質問がなされてしまったのでした。
それから、姉の居室、姉の過ごすフロアなどを案内してもらいました。
ホームにいるときにはなかったリクライニングの車椅子に座って姉は穏やかな表情でした。