8月14日
デイサービスに行く母を見送ってから画廊へ。
いろんな人が来てくださる。
古い教え子、最近の教え子、幼馴染、地元の作家さんetc
会場で受け取ることばは宝物。
今回の展覧会テーマはことばのまわりです。
コンセプト文を貼っておこうと思います。
ことばのまわり
少女の頃からことばが好きでした。
国語が好きというよりは言葉が好きで、もしかしたら、数学や物理や地理なども私にとっては言葉だったのかもしれません。
何を描いているのですかと問われても答えられないことが多いのですが、このごろよく感じる のは、作品はいつもことばの近くにあるということです。ことばが近くにあると作品が生まれ るという感じかもしれません。文学の言葉や、ラジオから聞こえてくる言葉、洋楽のリフレイン、 おとぎ話のフレーズといった具体的な言葉たちもさることながら、道端の小石、偶然出会う美 しい風景、庭に訪れるアゲハ蝶、近所の庭先に咲く花々などもことばのように受け止めてしま います。
もちろん、言葉を視覚イメージに変容させて描いているのではありません。線を追いかけたり確かめたりの行為や、イメージからイメージへの連鎖の中で私のドローイングはいつも生まれていて、そこにはあらかじめ具体的な言葉はありません。それなのに、といっていいのか、それだからといっていいのかはわかりませんが、私はいつもことばの近くでドローイングをしているようなのです。
そして、このたびの感染拡大でことばとの関係がより強く感じられるようになりました。巣篭もりの時間の中で殊更に自分のためのことばを渉猟してきたのは、強い言葉たちに毎日切りつけられて来たからではと気づきました。
パンデミック、ロックダウン、緊急事態宣言、致死率、ソーシャルディスタンス、三密、感染 者数、PCR 検査、陽性率、重症化率、医療崩壊、etc
太いゴシック体の強い言葉たちに、ともすれば思考を止められそうな危うい日々。加えて、日ご とに更新される数字によって不安は増大し、数字もまた殺傷力十分な言葉であったと知ります。
こんな状況だからこそ、柔らかで健康な自分だけのことばをより求めるようになったのではないかと思うのです。均質化した言葉で覆われる世の中で、自分ひとりそっと見つけたことばはとても愛おしいものです。
2020 年 8 月 乾 久子