11月27日
日付ごとのブログ更新がおろそかになっていました。
日付をタイトルにしているのは、コロナ禍社会を意識してのことです。
いつまでこれは続くのだろう、この状況下の日々の出来事を綴っておこうという思いからこのタイトルです。
その意識がいつしか希薄になってきたところへ、第三波到来。
フェルケールへの展示準備は終わりました。搬入と設営は明後日の日曜日。
新しい作品を2点作りました。ちょっと大きめです。DM写真はそれを使いました。
だいたい準備終わりとなって私は少し考えました。
フェルケールでやることの意味。改めて。
もちろんそれは、いっとう最初に考えたことです。
何度か通って、帆船が心に一番残ったので、私は、自分の帆を作ってみようと思いました。
帆のことを調べたり、帆布を求めてお店を回ったり。
でも自分の帆なのだから、買ったものではなく自分のもので作ろうと思いました。今の自分を作っているもの。
それで古い洋服を探す。実家で。自分の家で。などして、できたものがどうにも重たい。記憶とか思い出とか重たいし、物理的にも昔ピアノにかかっていたレース編みなんて重量的にも重かった。捨てられないできたブラウスとか、亡き友の遺品とか、姉の衣類とか、こんなもので帆を作ったら心も重い。そういうことをやってみて気づきました。
私は重たくはないらしい。重すぎる思い出では帆にならない。それでも捨てられない思い出はあってさっぱりと軽い女になれるはずもない。
そうやって色々やって二つの帆が出来、それが今度の新作です。
その帆を持って港で撮影したことが私の船出であり作品だ、とそんな風に思っていました。
でも、準備完了となって私は、その先も続けた方がいい、続けたいと思いました。
私の帆が博物館にあるあいだ、清水の街や港を歩き回ってみよう。それも作品にしてみよう。そんなことを。
もちろんそれが展示できるわけではないのですが、今日、考えたのでここに書いておきます。