『絵を見て泣いたことはないが、音楽で泣いたことは何度でもある』と、以前友達に言われた時、妙に納得したものだった。
私も、絵を見て鳥肌が立ったことは幾度もあるが泣いたことはなかったと思う。
それなのに、泣きたいほどの、いや本当に涙がこみ上げてくるような作品を見た。鳥肌ではなくて。
神奈川県立近代美術館葉山で開催中の『生命のリアリズム 珠玉の日本画』展を見たのだが、その中で
朝倉節23歳、1943年に描かれた『歓び』という作品の前に立った時、その感情が突然やってきた。
さつまいも掘りの農作業の合間に三人の娘たちがくつろいでいる、ただそれだけの作品だ。
なぜこんなに感動してしまうのかわからなかった。
三人の若い娘たちの姿は、伸びやかで明るくて清冽だ。色使い、構図、それぞれのポーズ、いいなあと思う。『歓び』は大上段なタイトルには感じない。そうなんだこの空気このひと時が歓びだと共感できる。
この感覚が普遍的なものであるかはわからない。
だが、いま広がっていこうとするわたしの何かとシンクロしたんだとは思った。
泣いてもいいんだと思った。