3月12日 (金)
福島に住む人に10年目にはふた通りがあると言われました。
一つは3月11日 それは地震と津波の日。
もう一つは原発事故からの10年。
その考え方でいけば、今日は二つ目の10年目です。
寝不足の朝。昨日も早朝発のために寝不足だったのに今日もよく眠れませんでした。眠るのは特技なのに。
大丈夫かなあこの体調と思いましたが、宿の朝ごはんは絶品で、それは美味しい和食の朝ごはんでした。
8時過ぎに宿を出ました。ここにまた泊まりたいなと思いながら地下鉄の駅に向かいます。
仙台駅のキオスクで河北新報を買う 今日も震災10年一色の紙面。
仙台 9時2分発 東北本線福島行き。
生まれて初めて乗った路線です。宮城県からの福島入り。
昨日とは違う山並みの風景の中を列車はゆっくり進みました。旅だと思いました。
福島で降りないで、郡山行きに乗りついで松川まで行きます。松川着10時54分。
初めて降り立った駅です。
二本松の小学校でどうしてもみたい展示があるのです。
バスもないのでタクシーを呼ぶ予定でしたが、駅前に3台も停まっていました。
運転手さんに『浪江町立津島小学校まで』と告げると怪訝な顔をされました。
浪江にここから行くのかという表情です。
浪江町は昨日常磐線で通ってきた町、津波被害にあった町です。
運転手さんは、あの海沿いの街に行けと言われたと思ったのです。
もちろんそうではありません。私が行こうとしているのは、震災後ここ二本松市に疎開した
浪江町の小学校です。
松川の廃校の校舎に、浪江町の二つの小学校の子供達がが移ってきたが、児童数がどんどん減り、浪江小学校は昨年廃校、もう一つの津島小学校は今年最後の卒業生を出す。
その最後の卒業生須藤嘉人君が、館長となってふるさと浪江の記憶と記録を展示した『なみえ博物館』の展示をしているのです。
運転手さんに、浪江町から小学校が移ってきたでしょう?とスマホの画像を見せると、あああの学校!!とすぐに発進してくれました。
10年って言ったってね、ここいらは何も変わらないね。
浜通りのね、浪江の方は大変だったけど、復興っていうのはね、人が戻らないと復興にはならないねえ。
運転手さんは饒舌でした。
家並みを抜けて山道の方へ走り高台方面に登る感じで目的地に着きましたバスもないし駅までは歩けないだろうから帰りも電話をくれたらすぐに来るからねと番号が印刷された小さな紙をもらいました。
想像していたよりも立派な鉄筋コンクリートの普通の小学校校舎でした。。
可愛い花壇の隣に『なみえ博物館』の案内がありました。