7月20日 続き
GOGでは、飯舘電力の小林さんが、千葉さんのこと作品の事さまざま説明してくださる。次回の作家、吉田重信さんが集めてギャラリーの外にあるミズアオイのことも丁寧に教えてくれました。
お昼は小林さんとお蕎麦。
福島駅西口まで送っていただいて南相馬行きのバスに乗る。
今回の旅で、必ず行こうと決めていたのは福島市といわき市だが、福島からいわきに行くのは?と調べると、この、2時間に一本の路線バスが見つかった。
浜通り、中通り、会津と三つの地方にわかれている福島県だが、それぞれをつなぐ鉄道の便は良いとは言えず、鉄道で福島からいわきなら、東北本線で仙台、そして常磐線でいわきという方法しかないのだが、それを補うバス路線は発達している。
福島駅14時発の南相馬ゆき飯舘村経由のバスで原ノ町駅前までの切符購入。1100円。
バスは山道を走る。飯舘村の近くを通る
あの時のツアーもここを走ったのだろうか。
2015年秋、飯舘村を知るバスツアーをはまなかあいづ文化連携プロジェクトの方々が企画してくださった。原発事故で全村避難となってしまった飯舘村は東京電力福島第一原発から50キロ離れていても人が住めない村となった。日本一美しい村と言われ豊かな文化を継承して来た飯舘村、でも人が住めなくなり農業もできなくなった飯舘村を知るツアーだった。
今日こうして自分の足で歩いてみると、飯舘村は浜通りと中通りのあいだにあるやまあいの村なのだとあらためて実感できる
あの時みた無数のフレコンバックを見ることはなかった。
仮置場だけでは置き切れず、仮仮置場なる田んぼに積み上げられていたおびただしい数の黒い袋の風景に深い衝撃を受けたのだったが。
フレコンバックの耐用年数が5年だからもう片付けられた、のか。
オリンピックの聖火リレーのために、片付けたという説もあるらしい。
ではどこに?除染の土が安全なものになるまでの半減期は長い。
私は何も知らないんだなと思う。
途中道の駅でトイレ休憩
相馬焼の陶芸作品が売られている
バスに乗車中、携帯電話が鳴る
母が通所している施設からだ
今日はデイサービスの無い日で母は自宅でヘルパーさんの家事支援を受けているはずだ
この時間はヘルパーさんは帰っていて母は一人のはず
何かあったのか、と不安になる
が、バスの最前列に座っている私は運転手と目を合わせてしまった
運転手が電話はお控えくださいという
仕方なく通話拒否してまた車窓の風景に目をやる
緊急事態ならまたすぐにかかってくるだろう
原ノ町駅前で下車
原ノ町は相馬の主要駅なのだった
駅の中みどりの窓口のところに相馬の馬追いの装束一式が展示されている
こんなに重たい物を身につけて乗馬するのかと思うがこれが相馬の古い歴史を物語る一つの姿なのかとも思った
少しの待ち時間で常磐線仙台行きに乗る 隣の鹿島まで 乗り遅れたら次は1時間後
常磐線のひと駅は長い
山手線のそれと比べるつもりはなかったが東海道線のひと駅と比べても相当長い
車窓からの風景
常磐線の車内は、ゆったりしている
地元の高校生が数人スマホをいじっているどこにでもある風景
今年3月の第一回の旅で起こったあの出来事を反芻してしまう
鹿島駅に着くと今日の宿 農家民宿『翠の里』のご主人小倉さんが迎えに来てくださっている。
いわきに直行しないで、南相馬で一泊することにしたのだ。