7月20日 続き
農家民宿の小倉ご夫妻は16年前に南相馬に移住してこられたそうです。
10年前の震災の時はボランティアさんなどの関係者を多く泊められ、その後は岡部昌生さん港千尋さんなど、アートの関係者が逗留する宿となり、GOGで作品を拝見した千葉奈緒子さんの常宿でもあるようです。私自身、この女寅さんの旅に精神的に同行してくださっている県博の小林さんにこの宿を紹介していただきました。今はコロナで、1グループしか泊めません、ということで、私一人で1グループ、たった一人の泊まり客でした。
まだ夕飯までは時間があるからと、駅に迎えてくれた小倉さんはそのまま私を南相馬の海の方に連れて行ってくださる。
以下のテキストはその時のメモ。そのまま載せようと思います。
10年前の津波のこと、どのあたりまでどの高さまで津波が来たのかなどを聞きながらの助手席。
津波の爪痕は無い
広がるのは美しい田園風景だ
3年ほど前から稲作が再開されたらしい ではその前は?とも思う
この辺りは干拓の地であったらしい
相馬の歴史を知りたいと思った
海岸に出る
砂浜が続く
遠くに馬が走っているのが見えた
26日からの相馬の馬追い、今年は無観客と決まっているが、馬に乗る人たちが練習しているのだという
やがて馬はもう一頭増える
馬は美しい
豪華な馬追い祭りは見ることが出来なかったが、相馬の美しい馬を見ることはできた
年に一度の祭りのためとはいえ、馬が生活のなかに存在している地なのだと相馬を実感する
次に海岸からほど近い小高い丘へと案内される
津波の時、ここに避難した人が50人ほどいた 海抜で言えば20メートルほどある だからみんなここに逃げれば安全だと考えたのだろうという。
だがここに避難して助かったのはわずか4名だそうだ。
避難者の碑があった
同じ苗字の人たちが何組もいる
家族で避難したのだと思った
そこからほど近い山田神社
ここも津波の被害にあったが再建された
再建の費用は日本財団が出したという
こんなところでも日本財団
でもお金は必要なのだからと小倉さんの複雑な語り口
禁忌なのか、触れていいのかわからなくなる今日も
相馬の田園風景の中を走る
水葵の話
この辺りに水葵は生えていますよと教えてくださる
稲作の敵として駆逐された水葵が震災で古い地層があらわれて、地下の古い種が芽生えてまた花を咲かせるようになったと聞く。
震災が無ければ絶滅していた美しい青い花
震災の小さな希望、灯されたかすかな灯り
GOGで見せていただいたバケツの中の雑草のような植物。
水葵に託してもいいんだ
たまらないことやりきれない現実があってもあの可憐な青い花に希望というべきものを託してもいいんだ
相馬の田園風景の中で思ったことだ