7月25日
みな川旅館を後に、只見線の下り小出行き 9時30分発に乗る
小出からは上越線
車窓から新潟の風景
家の作りをみるとここも豪雪地帯なのかなと思う。
切符は昨日、会津川口で買っておいた。
その時は、もう明日が最終日。越後湯沢から新幹線に乗るという帰路しか考えていなかった。
越後湯沢から東京。東京からまた新幹線で浜松という帰り方だ。
だが、最終日となって思う。
そんなつまらない帰り方をしたくないと。
六日町で降りたらどうなるの?
ほくほく線とか飯山線とか乗り継いで長野松本と下って名古屋に出てそれから浜松に帰るのだってアリではないの?
オリンピックをやっているからこそ、東京を通らずに帰りたいとも思った。そちら側に行きたくないと思った。
でももう切符がある。
結局六日町で降りなかった私がいる。
越後湯沢駅で、ちょっとのんびりして新幹線を一本遅らせた、その程度のこと。
上越新幹線は指定席も自由席も激混みで、みんな東京に向かうんだなあと思った。
今度の旅では初めからずっとどの列車でも人と接することなく距離を置いて座ってこれたのにこの混み具合は何だろう。
初めて感染の危険を感じた時だった。
でも東京の人たちは毎日満員電車なのでしょう?
などなど、急速に日常に引き戻されようとする帰路で、しかし私は今度の旅のあれこれを反芻した。
もとより、10年目を歩くなどといっても、何の目的もない。
あの2011年の新聞を消すドローイング、2015年の豊間小のくじドロ、アートと社会を繋げたい自分がいたけれど、それは何かとても利己的な自己韜晦ではなかったか。
福島といっても何も知らないできた私がいる。あの時は、どちらも、ただ単に、アートで自分にできることをやってみたいと思ったに過ぎないのかもしれない。
だから、ただ歩くだけで何かを知ることができるという保証はないが歩いてみよう10年目の福島を。
そう思ったし、何よりそれを勧めてくれた人たちがいた。
歩きながら考えることは重要だった。
歩きながらだからこそ感じ考えることができたとも言える。
私が見つけたというよりは風景が教えてくれた。
私が考えたというよりは出会った人たちが伝えてくれた。
ほんのとば口であるかもしれないが、私は何かを見てきたのだと思う。
確かに言えるのは私はまた福島が好きになったということだ。
女寅さんの旅、とりあえず3回目は終了。
4回目のことはまたもう少ししてから考えたい。