8月13日
私にとってのお盆は実家のお盆。今日と明日は実家でと決めていてその支度をする。
今年は母におはぎを持って行こうと決めている。
昨夜のうちに煮ておいた小豆を煮詰める。
小豆の煮方は母に習った。
小豆は煮る前に水につけておかなくてもいい、大豆とは違う、だが何度か茹でこぼす、国産のものを使う、砂糖は必ずザラメを使う、甘味をつけるのは最後、塩を入れてはならない、一晩おいて甘味を染み込ませてから翌日に煮詰める、その時少し甘みを足す、など。
母と違うのは私は必ず土鍋で煮ることだ。よりふっくら煮えるように感じる。
もち米にうるち米を少し混ぜて炊き、炊き上がったらすりこぎでついて熱々を丸め、おはぎのお餅を作る。それぞれにあんこをまぶす。
おはぎは簡単なお菓子だけれどずいぶん久しぶりに作った。重箱に入るだけ入れて残りは冷凍した。
東名は空いていた。クッキーと夫とともに実家に着くと、お盆の棚がほぼ出来ている。弟が今年もやってくれた。母は今日もデイサービス。
お盆の棚のハザにかけて飾るものや晩御飯のあれこれの買い出し。四時前に母を迎えに行ってしばらくしてから、大慶寺の若い僧侶がお盆の棚経にくる。
この棚経が母にとってのお盆のメインイベントである。立派な盆棚ができていることきちんとお布施を渡すこと僧侶とともに読経することだ。そして私のお盆は母にこのイベントを毎年つつがなく経験させてやることである。父が亡くなる少し前からなので、20年は続けている。
若い僧侶(多分私の末の息子と同年代)は、読経に5分弱、その後の短い世間話に5分弱を使って、10分ほどで帰っていった。母は満足そうだった。お布施5000円。
僧侶が帰った後、母と私と夫の3人でおはぎを食べる。
母が『美味しい〜』と言った。
夫も『美味しいね』と言った。
実際、本当に美味しくできていた。
母がとてもいい顔でおはぎを頬張っている。
それをみて今年のお盆はこれですべてオッケー!と私は思った。
お母さんはおはぎをよく作ってくれたよねとおはぎの昔話をする。
お母さんのおはぎは美味しかった、これはお母さんの味と言うと
久子はよく手伝ってくれたと言いながら、
母は少し得意になりザラメでないと美味しくないからね、など
私に伝えてきたことを話し出す。
和菓子屋さんのおはぎも美味しいけれど、私はこのたみ子さんのおはぎが一番好きで一番美味しいと思う。お店のおはぎより美味しいよねと誰にともなくいうと夫が『そう思うよ』と言ってくれた。
母との会話
認知症になってからは同じ話が繰り返される
『あなたたちは何人家族?』
『二人ですよ』
『二人きり?少ないねえ』
それから3人の孫はどうなったかについて一通り聞いてまた
『久子のところは今何人家族?』となり『二人きり?少ないねえ。』
これがヘビーローテーションされる。
私にはわかる。母は自分のことを聞いて欲しいのだ。だから、時々は『お母さんは今何人家族?』と聞き返す。
『何人だと思う?』というので
『何人?』とまた聞くと、
『ひとり!』と言って人差し指を立て可愛く笑う。
『お母さんはひとりで頑張ってて偉いねえ』など言うと母はさっきまでのにこやかな感じをにわかに変えて
『昔は大家族だったのになぜこうなったのか』
『私が死んだらこの家はどうなるのか』という終わらない繰り言が展開される。それを聞くのが嫌な私はたまにしか『お母さんは一人で頑張ってるね』と言わない。つまり私はほとんど母が聞いて欲しい話を聞いてやっていない。
母はいろいろなことがおぼつかなくなった今も、ほぼ毎日一人で眠りにつき一人で朝を迎えている
なによりそれはお母さんあなたが希望したことですとムスメは自分への言い訳を心の中でいつもする。