8月13日 夜
晩ご飯のあと、私たちの休んでいる和室に母がやってきた。
仏間を通るときに盆棚を見上げ、もうお盆なんだね、と言う。
施餓鬼旗が立っている、もうおっ様が来たのかと言う。
施餓鬼旗というのは、紙でできた鮮やかな色の旗。南無妙法蓮華経と書いてある。大きさは20センチほどで、生のコメを茶碗に山盛りにしそれに立ててお盆の仏たちのお膳の一番前に置く。僧侶が棚経の時に持参する。
さっき僧侶が来たことは忘れても施餓鬼旗のことはしっかりと理解している母。
私はこの旗を立てる意味は知らない。
母は私たちの部屋にある低い籐の椅子に腰掛けた。
『あなたたち今何人で住んでいる?』とお決まりのフレーズを母が言い出す前に夫が先に切り出した。
『おかあさん、子供達の小さかった頃のこと覚えていますか?』
「久子はどんな子どもでしたか?」
「久子の友達にはどんな子がいましたか?」
直近のことは忘れても昔のことは覚えているだろうからと夫は考えたらしい。
母によれば、私は家の手伝いをよくする良い子であった。今も親しくしている幼なじみがいるが母は彼女の名前を覚えていてかずこちゃんがどこに住んでどんな家の子であったかも覚えていた。「久子は高校に入った時新入生の挨拶したよね」と本人が長く封印してきた黒い一ページも覚えていた。
姉のことを聞く。
母はあまり話さない。
弟のことを聞く。
母はたくさん話した。
弟について母がこんなに話すのを聞いたことがあったかなあと思うぐらい詳しく話した。自慢の優秀な息子だったんだなと思った。
姉についてだけ認知症ではない母がいる、私は時々そう思う。
23時を回るまで母はいろんな話をして寝室に戻っていった。
母に付き添ってベットまで行き電気を消す。エアコンはつけたままにする。