9月26日(2)
喜多方から、磐越西線で新津へ。
磐越西線で喜多方より新潟方面に行くのは初めてです。
2011年の漆の芸術祭、展示させていただいたのは喜多方のお店でした。
その時は喜多方から郡山に戻って新幹線に乗りました。
新潟方面にゆく磐越西線はとてもゆっくりでした。
阿賀川の渓谷を見下ろす風景は、四国の大歩危小歩危を彷彿とさせますが、あのようにダイナミックというよりはずっとやさしいあり方でした。
2012年の夏、インターハイは新潟県で行われ、三男の出場するボートの試合はこの阿賀川のどこかだったと記憶します。
あの時は車で長野県を北上して新潟入りし、そこから来たのでしたが、その懐かしさと感傷をないまぜに車窓の風景を眺めました。
三男のクルーの成績は忘れたのにこの風景は覚えていました。
インターハイで思い出すと、三男高2、2011年のインターハイは東北三県合同開催、ボートは岩手県でした。震災直後の夏だったのに東北で開催したんだなあと、岩手での思い出までも磐越西線で思い出すハハでした。
新津から上越本線で新潟へ。新潟駅では、友達の美智子さんが待っていてくれました。
突然の連絡でしたが都合をつけてホームで出迎えてくれました。
美智子さんと知り合ったのは1997年のメルヘンツアーで、です。
小澤俊夫先生の昔話研究の現地ツアーのような、ドイツ、グリムの旅でご一緒したのでした。
アートの友だちではなく『おはなし』の友だち美智子さんは私より13歳年上で、今も文庫活動やお話会をされています。
新潟駅構内のお蕎麦やさんで美智子さんと短い再会。
会津若松で感じた『あわいの世界」への捉え方の小さな違和感は、美智子さんと話す『あわい』の話の中でスッキリと解消されました。
遠野物語への感覚は美智子さんとなら誤差なく共有できました。
ずいぶん久しぶりに会ったのに、あわいの話が核心近い部分で突然できるなんて、とそのことも嬉しかった。
美智子さんが名もない民の語り部であり続けるからだと思いました。『あわい』の中で自分は語っている、と美智子さんは思っているようでした。
上越新幹線、東海道新幹線と乗り継いで深夜の帰宅。
浜松に帰って二日経ってもトルコ桔梗は綺麗に咲いていてくれました。