10月11日 三日目
朝早く目覚めた。そうだここは温泉だと思いお風呂に行くと年配の女性客ふたり。白川から来たという。温泉で行きずりの人との会話。旅かな、と思う。
いや設営でしょう!と打ち消す。
最速でギャラリーへ。
写真の展示に時間がかかる。ランダムな張り出しは直感でおこなうが、それでもいろいろなこと、旅の時系列、写真の大きさ、写真の構図、写真の色、などなどでベストな配置が決められない。
昼過ぎに福島県博のお二人が会津若松から来てくださった。
彼らは、通常の学芸員としての仕事の他に、無償でこのギャラリーの運営その他に携わっている。すごいことだと思う。
小説家と編集者の関係がどう言ったものかを詳しくは知らないが、美術表現をする人と展示企画をする人との関係はそれに似ているのかなと思った。
乾さんには中心とか求心性はない、だからもっと散らすような展示にしましょう。そんな言葉をいただいた。
台の上に何を展示するかにおいても、壁に貼りきれなかったものを台の上で見せようとしていることに対して、壁との違いはなんですか?とシャープに切り込んでくださる。その一言で台の上の展示について全てが了解できた。
はると決めていたからにはと貼った3点目の青のドローイング(全紙サイズ)について、ゆっくりとその壁全体を見て、これ、やめませんか?という言葉。
結果、DMで使ったあの奥只見の風景の写真が活かされる。
私と私の作品に対する客観的で冷静な判断がなされ、そしてそれが展示につながる。とても貴重な体験だった。理想的な設営風景だと感じありがたかった。
用意してきた写真は4分の1ほどしか使わなかった。
赤のドローイング然り。
でも使われなかった作品もまた展示を作っている。そのことが自然に納得できた。
午後4時過ぎに彼らはまた若松に帰っていった。二時間もかけてきてくださったのだ。
そしてその30分後に夫も浜松に帰っていった。
ギャラリーに一人きりになって、どんなに人に助けられてきたか頼ってきたかを思い知る。
まだ設営は完全には終わっていない。今からは全て一人で決めて一人で作業をするのだ。
直後は心細さに押しつぶされそうだった。だが30分ほど淡々とした作業を続けているうちに私はしっかりと一人で立っていると感覚が湧いてくる。
そしてその実感は何にも代えがたい大切なものであるとまた実感する。
大切にしようこの気持ち、これは私の展覧会なのだ。そしてその展示がもうじき完成する。
『一人で歩いてきたんですね』
23歳の春、バックパックでヨーロッパ中の美術館を巡った一人旅の最後にたどり着いたウィーンで、指導教官だった水田先生がそう言って迎えてくださったことが突然蘇った。
一人で生きてはいない。たくさんの人に支えられている。でも自分の足で歩いている。
午後7時半ごろから飯舘電力の小林さんが(見かねて?)1時間ほど手伝ってくださった。
私が日曜日、ビルに入るやり方誤って、警備会社を呼んでしまった前科への不安もあった。無事に出られなかったら?
水準器を扱う人と作品を張り出す人、二人がいると作業は早い。
歩いていけるビジネスホテルに今日からは泊まる。