(11月4日 続き)
おかゆを作ってくださったのは、アルパインロッジの食事全般を任されているらしい、平山としこさんという方で、昨夜の美味しいディナーも彼女の手によるものでした。地元のお客さんたちには、としこさん、と下の名前で呼ばれて親しまれているようでした。
おかゆをすすりながら、平山さんに、震災直後に浜通りから避難してきた高校生たちの話を伺ってみました。
猪苗代に避難していたのは、富岡の生徒たちですか?
平山さんが話してくださったのはざっと以下のような内容です。
震災直後、東京電力福島第一原発の事故で緊急避難となった原発お膝元のいくつかの町があり、そのうちの富岡町の中高校生たちが、ここ猪苗代に避難してきて、3年前までこのアルパインロッジに住んでいました。富岡高校は、そのまま、猪苗代高校の中に入る形となりました。富岡高校はバトミントンが盛んで強く、オリンピック日本代表のあの桃田選手も、震災の時に富岡高校の生徒で、彼もここで寝泊まりして通学していましたよ。
お客さんが今いるこの食堂で彼らも食事をしましたしお風呂も一緒です。寝るのは、客用の部屋ではなく、別館がありましたが。
平山さんは嬉しそうに子どもたちのバトミントンでのその後の活躍など話してくださいました。
前回、2018年に泊まった時には気づかなかったのか、まだなかったのか、自動販売機の前に、ここで生活していた生徒たちからの色紙やサイン入りユニフォームなどが張り出されていました。平山さんへ、と大きく書かれた寄せ書きが何枚もありました。
生活も学校も同時に失った子どもたちが、平山さんの美味しい手料理で愛されて、それがどんなに嬉しいことだったかを物語る寄せ書きでした。
平山さんに、路線バスの時刻まで少し休んでから裏磐梯の方へ行く予定、と伝え、おにぎりをお願いすると、バス停まで送りますよと言ってくださる。
宿代の精算のタイミングで、実は、と今開催中の個展のDMをフロントの若い女性に渡してみました。
実は、私は、震災後10年目の福島を歩く旅をしています。3月11日から始まって、もう何度か福島に来て、こんな風に旅をしています。その旅のことや自分の作品を展示している個展です。
フロントの女性の私を見る目がかすかに変わったことがみて取れました。
個展ですかすごいですね、といった、よくいただくリアクションではなく、明らかに、10年目、の部分に反応している感じがしました。
踏み込んでいいいのか逡巡させる目の光でもありました。
そのタイミングでとしこさんが現れて、送りますねとクルマまでいざなってくれました。
平山さんはバス停までではなく、私が、路線バスで行こうとしている、五色沼近くの諸橋近代美術館まで送ってくれました。
さっきの会話を耳にしていたのか、そういう旅ならバスの方が良かったでしょうかと言いながら、車の中でまた富岡の子どもたちとの思い出を話してくれました。
富岡高校は、もうなくなって、今は双葉未来高校となっていること、少し前に、文化祭に呼ばれて、行って来たこと。そして、この12月には、結婚式にも読んでもらっているということ。
富岡の高校生たちにとって、平山さんはお母さんみたいな存在だったのだろう。
平山さんの話は続く。
私たちも彼らから元気をもらいましたよ。
あの当時、猪苗代も、風評被害で野菜が売れず落ち込んでいたからね。
美味しいご飯が高校生たちを幸せにし、美味しい美味しいと食べてもらえてとしこさんも幸せだったのかなあと、私は自分の子育て時代を振り返りながら聞きました。