11月4日(4)
五色沼は、磐梯山の大噴火で生まれた湖沼群のひとつ、名にし負う裏磐梯の景勝地です。
裏磐梯は車がないと移動は大変と思いつつ、だからこそ、不便な路線バスと徒歩で巡ってみようと思いました。
五色沼の遊歩道は4キロ弱、佐鳴湖一周よりも短いと思えば気楽でしたが、熊出没注意にて、歩く人は鈴をつけていました。
鈴の入手の仕方わからず、鈴の人の後ろを少し離れて歩きました。
晩秋の裏磐梯、紅葉も、落ち葉の遊歩道も、湖沼群もみな美しい。
毘沙門池、赤沼、みどろ沼、弁天沼、るり沼、青沼、柳沼、と歩いて裏磐梯高原に着く。間に平山さんのおにぎりを食べる。一つは梅干し、もう一つは焼き味噌、卵焼きがついていました。お腹はもう良さそうでした
歩き足りなくて、五色沼の先にある桧原湖も巡ろうとしたけれどきちんとした道がない。藪をこいだら熊に会うかもしれない。
だが、桧原湖をめぐる観光船が出ているのでした。
帰りのバスに乗れるのか、不安だったが乗ってみることにしました。
広い桧原湖を船で巡りながら、録音音声で流れる観光ガイドを聞くともなく聞いていると、この湖底には桧原村が沈んでいるという。
1889年の磐梯山の大噴火で、桧原村の村民500人以上が犠牲になり、その犠牲の上にこの桧原湖が出来、美しい湖沼群ができたのでした。
裏磐梯ビジターセンターにその歴史がパネルや動画で展示されていました。
噴火から、まだ130年しか経っていないのに、自然は驚くべき力とスピードで、この裏磐梯に美しい湖、湖沼群、森を作って行ったのです。
震災から10年目の福島の姿と、噴火から130年の姿が、シンクロします。
原発のことは一旦おくとして、津波と地震を、自然のいとなみと言う日が来るのか。桧原村の人たちの犠牲の130年後に、大災害が作った美しい自然に瞠目している私達がいる。
一体私(たち)は、歴史のどこに立って、自然を見ればいいのだろう。
さて、観光船は予定より8分遅れて帰着。シーズン最終とあって、随分サービスしてくれたのだが、路線バスにはギリギリ間に合わなかった。
次のバスまで90分待つか、バス道路を4キロ歩くか、タクシーに乗るかの三択で、タクシーに乗りました。