11月5日
2泊目の宿は、リーズナブルなリゾートホテルだった。
コロナが治まってきたのと、福島県民割で県内旅行者が急増したのとで、宿の選択肢は少ない。
そこそこ快適で温泉付きで、夜から朝までのんびり過ごした。
路線バスの旅で裏磐梯を歩くつもりがバスの本数がかなり少ない。
五色沼からは猪苗代に戻るか喜多方に抜けるかだが、喜多方に向かうと決めていた。バス路線の途中に大塩温泉というバス停がある。裏磐梯の秘湯らしいのでそこの日帰り温泉に立ち寄ろう。バス時刻を見る。五色沼入口発は午前8時22分、その次は11時57分。そうだ8時22分に乗って大塩温泉で下車、秘湯に浸かり山塩作りを散策して次に来るバスに乗って喜多方に出よう、そんな算段をしていたが、大塩温泉のことを確認したほうがいいかもの予感。スマホで調べて電話すると、今月からは日帰り温泉やってませんということだった。後で知ったことだが、あのつげ義春も寄ったところだった。
それではと、宿でのんびり朝ごはんを食べていたら、『ゆっくりされるんですね』とレストランで働く中年女性が声をかけてくれる。一人旅は、他者に向かって開いているんだなとまたここでも思う。
猪苗代でのことがあったので、実は、と、彼女に10年目を歩く旅のことを話してみる。
すると彼女は、こんな身の上話をしてくれた。
実は私はいわきの四ツ倉の者なんです。その旅ではいわきも行かれたのですか?四ツ倉は海沿いの、原発よりのところです。そこで飲食店をやっていたがあの震災で全て流されました。でも家族全員命だけは助かりました。そのあといわきの中心街で新しくお店を構えたけれど、コロナで経営が立ち行かず去年お店を閉めました。放射能は数字が測れるけれどコロナは全くわかりませんね。それで猪苗代の知り合いを頼ってこちらにきてこのレストランで雇用されています。
10年前には、子供は10歳でした。あの時は、ヨウ素剤とか何も知らなくて飲ませることもできなかったし、だいたい危ないなんて思わずにいたんですよ。でも事故後は、毎日ガラスバッチをつけて登校です。ガラスバッチ、知ってますか?簡易の線量計です。この子はあと10年生きられるだろうかと本気で不安でしたね。その子も今は二十歳の大学生、東京にいます、頑張って仕送りをしなくちゃと働いていますよ。
書いてみるとベタな物語になってしまうけれど、旅先の行きずりに、こんな人生を聞かされるとはと、改めて10年目の『影』の一つを見た思いだった。
7月に、いわきに行きましたというと彼女はこんなことも話してくれた。
防潮堤を見たでしょう?あれで、いわきの風景が変わってしまいました。
風景だけじゃない、夏は涼しい浜風が吹いて気持ちの良いいわきだったのに、暑いいわきになりました。
海沿いに新しい住宅がたくさん建っていたというと
あの辺りはね、以前は全部田んぼでした。家を流された人が戻って建てたんじゃないんです。
あの新しい住宅群は、原発の近くにいた人たちが、補償金で建てたんです。
津波被害の人と原発事故で住めなくなった人との、補償金の格差については、以前聞いたことがある。
どちらも、住む家をなくしたのだから、そこでいがみ合わないでと悲しい気持ちになるが、当事者としては切実なのだろうとも思った。
11時57分のバスにしたので、食後ものんびりし、次男と、長男のお嫁さんに絵葉書を出す。