カテゴリ
全体 art全般 展覧会のお知らせ 展覧会報告 展覧会準備 制作日記 みてきた展覧会 こども 介護日記 音楽 読書 旅の記録 映画 教える仕事 自然 文化一般 ぐだぐだ レジデンス日記 くじびきドローイング 未分類 以前の記事
2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 11月 2023年 09月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 フォロー中のブログ
最新のコメント
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
12月3日 珍しくひかり号に乗ったのは、こだまでは都合よく常磐線に乗り継ぐことができなそうだからでした。 女寅さんは、ふらりとした行き当たりばったりの旅が結局はあまりできなくて、スマホで乗り換え案内を調べてから今度も行動するのでした。 というのも、今回のはじめの目的地、川内村の天山文庫へ行くのには、車でなければ日に3本の路線バスに乗るほかはなかったからです。 ひかり号の窓からの富士山。新富士駅に停車しないのでアナウンスもなくうっかり見過ごしてしまうところでした。 そしてドローイングを一枚。 東京駅で常磐線特急ひたちに乗り換えていわきまで。 特急といってもゆっくりの常磐線。いわきに着くのが3分遅れでちょっとヒヤヒヤしました。接続している普通列車に乗り遅れたら一日3本のバスに乗れないのです。間遠なダイヤの常磐線、でもだから不便だ嫌だとも思わないのは旅であるからなのか。 無事に接続の普通列車に乗り3月8月と見た常磐線からの海岸の風景を見ながら富岡駅着。 駅は無人でした。 周囲には新しくて立派な建物がたくさん立っていました。広い駐車場もありました。 駅構内には現在の空間線量の測定値を示す電光掲示板がありました。 ここから東京電力福島第一原発までの距離はどれくらいだろう。2キロはあるだろうか。線量計を見ながらそんなことを思いました。 富岡駅着12時57分。川内村にゆくバスは、5:30、13;30、17:35の3本。 駅前にはお店の一軒もなく、おにぎりを持ってきて良かった。 帰ってきても安全となっても帰還する人は少ない、そういうことなのかと思った。 人が一人だけいました。 バスは10分前にやってきてすぐに乗車させてくれました。 運転手さんに、天山文庫に行くにはどのバス停で降りますか?と尋ねるとスマホを出してSiriに尋ねてくれる。 Mapも出して農協のバス停からこうやって歩いてああしてこうしてと教えてくれる。 川内村農協で降りることわかっていたのにちょっと心細くて確かめただけの私。なんだか申し訳ない気持ちになった。 乗客は私一人でした。 お客さん乗せて走るの久しぶりだと運転手さんが言う。 普段は誰も乗らない空のバスを、富岡と川内村の間を日に3往復する、それがこの運転手さんの仕事だった。 運転手さんは饒舌でした。 山道の運転をしながら私の方に向かって大きな声で話しかけてくださるので、バスの真ん中辺に座っていたのを一番前に移動して彼のお話を聞きました。 富岡なんもないでしょう。3割ぐらいしか戻ってないからね。 この路線は、川内村の人たちの足にと考えられたけど誰も乗らないね。朝の便は高校生を迎えに行く用にって言うダイヤだけど川内から富岡の高校に通う子はいないね。 ここが富岡の役場ですよ。隣にあるのが放射線の測定施設。野菜の残留値とか測るあれね。 富岡の役場はそれは立派な建物で浜松市役所なんて目じゃないかもと思い近くのスポーツ施設も本当に立派でした。 運転手さんのお話。 野菜作ってもね、地元の人は食べないよ。怖いから。 でもたくさん玉ねぎを作っているんですよ。あそこ、広い畑でしょう?試験栽培だけどね、数字が良ければ、市場に出るんだろうけど、どうなっかなあ。 線量計の数字とても低かったけれど土壌となったらまだまだなのだろうかと思う。 やがてバスは『夜ノ森』にさしかかり有名な桜のトンネルを抜ける。桜の時はさだめしと思った。 また運転手さんのお話。 お客さんはどこから? 浜松?俺もとは観光バスの運転手だったから浜松も行きましたよ。舘山寺温泉とか。あと、おいしいお菓子があるでしょ?なんだっけ。そう、うなぎパイ。あの工場にも行ったね。受付のところでうなぎパイがもらえるんだよね。 今年定年で観光バスの運転手終わって、この路線の運転手って話もらって二つ返事で引き受けたんだけど誰も乗んねえなって笑っちゃうよ。でも土日休みだし楽させてもらってる。(この路線は土日運休なのでしたそういえば) なんだか話が弾んできたので、実は私は、、と持参しているギャラリーオフグリッドでの展覧会のチラシを渡してみました。 すると運転手さんは、俄かに震災の時のことを話し始めました。 今は南相馬に住んでんだけど、実家は飯舘村でね、あの時はまず実家に逃げたんだよ、お袋もいたしね。だけど、飯舘村危ないってなって福島に避難した。だけどその体育館の避難所は寒くてこたえたねえ。お袋が割合早く死んだのは、あの時の寒さが寿命を縮めたんだと今でも思ってるよ。 そのあと娘のところに行ったんだけど、なんだか1週間ぐらいでいづらくなっちゃったね。気を遣っちゃって。実の娘でもそうだったんだから、遠い親戚とか知り合いいとか頼って県外に行った人たちって大変だっただろうなあって思うね。でもみんな行くところがなかったんだよね。 原発からの避難にある様々な物語。この運転手さんにもあったのだ。 私は、浜岡原発のある御前崎町には、福島の大熊町から避難してきた人が大勢いたらしいということを話す。 原発から逃げる先がなぜまた原発の町なのか、それは原発のある町の人なら自分たちを差別しないと思ったかららしい。 やがてバスは45分ほどで川内村農協バス停に着きました。運賃960円。 富岡よりも標高高く気温は5度ぐらい低いようでした。
by hisakoinui
| 2021-12-09 21:00
| 旅の記録
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||