ヘレンケラーの ことば
ヘレンケラーの自叙伝、わたしの生涯 岩橋武夫訳 角川文庫 2021年 初版1968年 を読みました。
ヘレンケラーといえば、小学校の図書室の伝記コーナーの人であり、聞こえず見えずの障害を克服して社会奉仕活動に生涯を捧げた偉人、というのが私の中のヘレン像でした。幼い日のあの井戸の周りで起こったことばの奇跡、ウオーター、が水を意味し、世界とことばがはじめて結びついたエピソード、サリヴァン先生という家庭教師の存在、知っているのはそれだけでした。
とある本の中でこの本の存在を知り、読んでみようと思ったのは、その人が、視覚イメージを持たない人が紡ぎ出すことばについて触れていたのと、この自叙伝の訳者もまた中途失明者であって、点字の書籍からの訳出であることを知ったからです。
言葉は、描写よりもまず事実を伝え合うための記号であることが、訳文から感じられるのですが、それはおそらく、見えない人たちには、推敲という作業ができにくいからだろうと察します。でも、点字タイプライターで打たれた、事実を綴るエッセイ群は、その事実によってだけからでも読む人の心を打つのでした。
不思議であり驚きであるのは、見るという単語や美しかったという言葉がしばしば用いられていることです。そして、視覚イメージを持ち得ない人の紡いだ言葉にも視覚イメージが伴うような表現が随所にあることです。それは、ヘレンケラーの膨大な読書量、サリヴァン先生がその一生を捧げて寄り添い伝え続けた指文字による逐次の経験の言語化などによってもたらされたものなのでしょうか?
そもそも言葉とは何なのかと思わざるを得ません。
この本には、タイトルになっている自叙伝だけではなく、いくつものエッセイのようなテキストが収められているのですが、その中に、いかにしてヘレンは収入を得ていたのかが書かれているものがありました。
アメリカ南部の裕福な家に生まれ育ったヘレンに経済的心配などなく、だからこそサリヴァン先生を生涯雇い続けていられたのだと、初めの部分ではそう理解して読んでいました。
でもそうではなかった、講演や執筆だけでは収入が少ない、自分がもしサリヴァン先生よりも先に死んだ時先生に何も残せないと考えたヘレンは、見世物小屋のショーに何度も出ているのです。目も見えない耳も聞こえない美しい女性が、普通の人とは異なる発声や発音で言葉を喋る、その見世物になることで収入を得てもいたのでした。
しかもヘレンは惨めな気持ちを持たないばかりかその仕事を楽しんでいたのです。
一番嫌なのはラジオの仕事で楽しいのはショーの仕事だった、とヘレンは書いている。そこには会場にいる人たちの存在感熱気が感じられた、役者の人たちとも触れ合うことができた、彼らの人生は往々にして不幸なことが多いけれど、ショーの中では違った、役者の人生は実人生の中ではなく演じる役の中にあるのではないかとという観察は、健常な私達以上であると読みました。
見えない聞こえないという障がいは、見えて聞こえている私たちには想像を絶する重いものに感じますが、最初からその世界に生きている人にとってそれが重いか軽いか苦痛か否かはそもそもないのかもしれない。言葉さえ有れば。
そうも思わせてくれたヘレンケラーの言葉でした。