ことばのまわり 〜10年目を歩く〜の報告トーク、無事に終了しました。
16名の方のご参加。20名までという計画でしたが、まだ蔓延防止緊急措置下でもあるので、十分な人数でした。ありがたいことです。
90分の予定時間のうち、60分を私が話し、残りを参加のみなさんとの時間にしようと予定を立てていましたが、およそそのようにできました。
まずはどうして福島を歩こうとしたのか、その始まりについて。
新聞を塗りつぶした作品について。
そして、あの3月11日の常磐線で起こった奇跡について、話しました。
常磐線車内でボイスメモした防災スピーカーからの音声、そしてそれに続く1分間の黙祷の時間、それを来場のみなさんと再度共有することができました。
パワーポイントで作った資料に盛り込んだ画像には、撮影してきた福島の美しい風景を多く使いました。
私は、震災の傷跡の答え合わせに行ったわけではない、でも風景のそこかしこに、出会った人たちの眼差しやふとした言葉に、震災の影はあった、そういうことを伝えたいと思いました。
うまく伝えられたかはわかりません。
でも聞いてくださった皆さんが全員温かい思いで耳を傾けてくださって、私の拙い言葉にも想像力を働かせてくださって、トーク自体が時間とともに温度を増していった感じがしました。
初めは緊張していました。
なにせ11年目の今日なのです。
毎日テレビで見るウクライナの人たちの避難の映像が原発から避難する人たちとの映像と重なる、では私(たち)はどの地平に立って避難する人たちを見ていた(見ている)のだろう、そんなことも思いました。当事者でない私(たち)、福島の人でもウクライナの人でもない私(たち)は、何かを語り得るのかと。
それが、旅の記録を伝えていくうちに、展示の一つひとつについて語っていくうちに変わっていきました。
それはドローイングにも似ていました。
描いていくうちに広がっていく、イメージからイメージへと広げていく、すると、何を描きたかったのかがわかってくる。
旅もまたそうでした。
歩いているうちに見つけていく、歩いているうちに風景に教えられる、広がっていく。
そして展示自体もまたドローイングだったように感じられます。
来場の方の一人に、乾さんの作品は『時間』だと思っていた、この旅も、旅の日記も旅のドローイングも全て『時間』ですねといってもらいました。嬉しい言葉でした。
トーク自体が変化していったことについて質問の形で気づかせてくださった方がいました。
震災10年といって始めた旅と展示でわかったことは、10年という時間の区切りはなくて、震災後はずっと続くということでした。そのことは伝えられたと思います。