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BankART1929 の代表池田修さんが3月に急逝し、そのお別れの会として『池田修を偲ぶ六日間』が横浜のBankART stationで6月14日から19日の六日間行われていました。別の言葉で言えば、6日間続いた池田修さんのお葬式です。
私はずっと列席していたわけではありませんが、私の6日間をここに書いておこうと思います。 6月14日 火曜日 偲ぶ会の初日 行かなければと思っていました。村田真さんのトークも聞きたいと思っていました。でも翌日は1時間目から高校の授業があるから日帰りだなあと思って申し込みを迷っているうちに満席ですとメールが来て諦めました。300人もの人が集まり、会場に入れなかった人は通路で配信映像を見たのだそうです。 6月15日 水曜日 偲ぶ会の二日目 高校の仕事の後に新幹線に乗れば、石内都と柳幸典の話だって聞けるんだなと思ったけれど、4コマの授業でなんだかヘトヘトになってしまい、今日も池田君に献花できないなあと思いながら浜松にいました。 6月16日 木曜日 偲ぶ会3日目。アーティストたちのトークの日で、私も登壇者のひとりなのでした。お昼前の新幹線に乗り、静岡に寄ってから横浜に行きました。 トークは19時半からでしたが、15時過ぎに横浜に着きました。 すぐに会場には行かず、みなとみらい線で馬車道まで乗って、海岸通のNYKまで行ってみました。 当たり前ですがもうそこにはあのNYKの建物はなく、ダニエル・ビュランのあのパッサージュもないのでした。 北仲まで戻って、BankART KAIKOで開催中のU35の二人の展覧会をみました。ともにとても良い展覧会でした。作家が会場にいてお話も聞けました。 池田君がいなくなってもBankARTはこうやってしっかりと動き続けている、よかった、と思いました。 会場のBankART stationは、みなとみらい線の新高島駅の地下通路にあります。 都市に棲む という『棲む』はこういうことなんだと思わされる空間。改札階とホーム階の間にあるもう一つのフロア。こんなところがあったのかと思わされる不思議な空間、それがBankART stationです。 池田君にもBankARTの関係者にも言ったことはありませんが、ここに来るたびに子育て時代に何度も子どもたちと読んで楽しんだ『番ねずみのヤカちゃん』を思い出します。ヤカちゃんたちねずみの一家が、人間の家の壁と壁の間の隙間に住んでいるのだけれど、それは人間たちの生活がひなたのものでヤカちゃんたちが日陰者ということでは全然なくて、ヤカちゃんたちはとてもすてきに明るく楽しく隙間の空間でねずみたちの日常を送っています。そしてある夜侵入してきた泥棒をヤカちゃんが捕まえたというお話。 さてstationに着いて細淵さんと話して献花していろんな資料や年表を見てパフォーマンスを見て参加してトリビュート作品を見てとするうちに港千尋さんに偶然会って驚きそして19時半。 『アーティストから見た池田修』が始まりました。 私の話す順番は、牛島達治さん開発好明さん浅井裕介さんらの少し後でした。そもそも私なんかが話すのは場違いだと思っていたし、実際もっともっとそうそうたる人たちがたくさんいらっしゃいました。 皆さんのエピソードそれぞれに濃くてすごいなあと聞いているうちに私のすぐ前の村田峰紀さん(という方だったと思います)の順番になりました。 彼は、『不快に感じる方は黙祷していてください』と前置きしてから全裸になり、唸り声をあげながら一冊の本をボールペンで引っ掻きながら引き裂いて行きました。 私は次に話す人として村田さんから1メートルほど離れた椅子席に座っていました。村田さんの全裸を至近で見ました。引っ掻き、ページが裂け破れて紙が舞い床に散らばっていく様子、クレシェンドする唸り声、トランス状態のような彼の身体、それらがすぐ真近にありました。 それは150パーセント池田修に捧げる熱い思いで行われたパフォーマンスでした。会場内がものすごい空気に満たされました。 引き裂き終わって、静かに立ち、全裸の彼は退場して行きました。 そして私の順番になりました。 私は私なりに少しは用意していた言葉があるにはあったのですが、そんな言葉を話している場合ではなくなりました。 私なりの裸の言葉を話すほかはありません。 私がその時一番思ったことは、こんなにも愛されて、池田君良かったね、ということです。 アーティストとしてというよりは古い友人として思ったことです。 いつもブルドーザーのように進み、時には傲慢なやり方が批判されたこともあったのかもしれないけれど、池田君に認められたくて頑張ってきたという若いアーティストたちがこんなにもいる、池田さんの恩は忘れないと言っている人たちがこんなにもいる、すごいね池田君、良かったね池田君と思いました。 そんなことを話しました。 あとで、乾さんの言葉良かったよと言ってくださる人がいてちょっとほっとしました。 6月17日 金曜日 偲ぶ会4日目 ブルース・チャトウィンの映画を岩波ホールで見て、リヒターを近代美術館で見て、小春に連絡がついたので、BankARTで会いました。 小春も私と同じ静岡大学での同級生。池田修さんを池田君と呼ぶ女子の一人です。 4日目の今夜はBゼミスクールの人たちのお話です。 Bゼミ時代の思い出やPHスタジオの話。 一番後ろのソファに二人でかけて聞いていると北川フラムさんがいらっしゃいました。 彼はこの偲ぶ会の初日からずっと来て全てのトークを聞いているのだそうです。 連日この場に来て列席し続けているその事実は本当にすごいと思いました。 さて私はこの日もう一泊するかどうかちょっと迷っていましたが最終の新幹線で帰ることにしました。明日には浜松、明後日は大阪と予定があって体調管理を計算しました。 関係の方々にちょこっと挨拶して帰ろうとした時でした。 突然、斜めがけしていたポシェットの金具が壊れて肩から落ちてしまいました。そしてポシェットとして使えなくなってしまいました。 なぜ今ここでと思いました。 池田君との最後の会話は、『乾さんはいつも帰っちゃうからね。泊まっていけばいいのに』という内容でした。泊まりの予定で来ればもっとアートの話ができるんだよということです。 もう一泊すれば良かったかなあ池田君に引き止められたのかなあと思いながら最終のひかりに乗りました。 泊まれば良かったです。 6月18日 土曜日 偲ぶ会 5日目 14時からの鴨江アートセンターのイベントに参加。館長さんや浜松市の文化政策の人たちの話を聞いたりアーティストとしての意見を言ったり。横浜市でBankARTがやってきたことを思いました。日本中に同じ課題がある。もっと池田君に教えてもらいたかったと思います。 6月19日 日曜日 偲ぶ会 6日目 早朝に浜松を車で出て、くじびきドローイングワークショップのために大阪は鶴橋へ。くじドロの初関西上陸です。 ところで池田君は私のこの愛するワークショップをあまり認めてくれませんでした。 いつだったか、リーフレットが出来たからと言って渡したら、こんなの配っていたら乾さんはワークショップの人になっちゃうんだよと言われました。 彼はあくまでも、本道のアートを目指せと私に説くのでした。でも私はそれは違う、くじドロは本道を超えるアートだと思っていました。 私は池田君にたくさんのことを教わったけれど、信者ではなかった点は良かったと思っています。 でも、逆説めきますが、乾さんはドローイングよりもくじドロだよという人に会うと実は傷つきます。 池田君はすごくシンプルにドローイングを認めてくれていたんだ応援してくれていたんだと思います。 そんなことを思いながら、池田君の生まれ故郷の大阪でくじドロをやって鶴橋で焼肉を食べて私の偲ぶ六日目を終わりました。 (池田修さんと私との関わりについては、6月14日に出版された『池田修の夢十夜』に寄稿させていただいた追悼文に書いております。)
by hisakoinui
| 2022-06-22 19:23
| 文化一般
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