さらけでるもの 沖潤子展 神奈川県立近代美術館
9月×日。台風が来ていたのに新幹線に乗って出かけていった。さっと見てすぐに帰ろうと思っていたのにものすごく時間をかけてみることになった。
刺繍作品である。
刺繍によるドローイングは珍しくない。私もやっているけれど、男性アーティストだってやっている人はいる。
だが恐ろしく緻密である。圧倒的である。
技法はとてもシンプルで、フランス刺繍のブランケットステッチでずっとずっと円をステッチしているだけ。
だがその細かさに息を飲む。私の刺繍の比ではない。
恐ろしく求道的な作業、そして文字通り求心的でもある。
やられたと思いはしたが、私とは違うとも思った。
沖潤子にあって私にないものは確かにあったが、その逆もある。
私には彼女にはない明るさと自由がある、と自分で感じた。
別の言い方をすれば、いい加減なところ、ツメが甘いところ、臨界点まで挑まないところ。
刺繍ドローイングにおいてもそれはあっても良い。それはとりとめなく広がる世界。沖さんのひたすらな求道性でたどり着くものに圧倒されたものの、私は彼女を照らして自分の世界を広げて帰ってこれたように思う。
これでもかの刺繍をしても内側で突き詰めないようなもの、広く、大きく、深くと思う。
結局、台風で新幹線が止まってその日は帰ってこれなくなってしまったのだけれど行ってよかった展覧会だった。