アトリエを持っている、というとすごいねと時々言われる。
すごいのかな?
絵を描くことが生き延びる手段であったころにちいさい子どもが3人いたので生活とは違う場所が必要だった。朝4時に起き子育てと絵のあいだをダッシュで往復した。
広さがあって家賃が安いのは訳あり物件で、はじめはそういうところを借りた。100号のキャンバスが何枚も並べられるところだったが、訳ありすぎて、裁判所から店子の私にまで文書が届き、これはヤバいと退散した。
次の物件は夫のお母さんが一緒に探してくれた。不動産屋さんに親しい人がいたのだ。
久子さん、よくあんなところにいられたわねえ怖くなかったの?と同情され、礼金敷金を出してもらって、今度はプレハブ建の事務所の二階を借りた。
日当たりも風通しも良く、立地はおしゃれな佐鳴台で、佐鳴湖散歩もすぐにできて、気に入って長くいた。
近所のうなぎ屋さんと仲良しになり、店内で作品展をしてもらったこともある。
今、アトリエにしているのは、かつて夫の両親が住んでいた家である。
ふたりが亡くなって住む人がいなくなりしばらくは空けたままにしていた。教育実習で浜松に来るが住むところがないという学生さんや浜松に滞在するアーティストたちに泊まってもらったこともあったが、今は私ひとりの仕事場となっている。
子どもたち3人はとうの昔に巣立ったし、自宅だって狭くないのだし、アトリエを持つなんて贅沢だと言われればそうなのだが、やっぱり私にはアトリエが必要だ。
訳あり、プレハブ、瀟洒なレンガ作りの一戸建て、それは関係ない。
自分ひとりの空間でなければ開かない扉がある。
だが今の一戸建ては相続した夫の所有物であるからそこはどうなんだろう。
「住み開き」という言葉が説明しているような、ちょっとパブリックな拠点づくりを考えるのはどうだろうかと思い始めている。