お弁当はほぼ毎日作っている。
自分用のお弁当である。
高校の仕事がある週2日も、そうでない日もお弁当を作る。
中身は大したものではない。
ブレッチェンというドイツパンが好きなのでそれにクリームチーズとハムを挟んでサンドイッチ。たんぱく質を補うために魚肉ソーセージかゆで卵(前日あたりに茹でておいたやつ)、カルシウム摂取のために6Pチーズ、サツマイモが蒸してあればそれを切って、りんごがあればそれも切って、ブロッコリーなど野菜が茹でてあればそれを一つか二つ、お弁当籠に入れる。5分で作っている。栄養バランス考えた手作りの一食をわずか5分だ、と自分で自分を褒めている。あとは水筒にお茶とブリックパックの飲み物とか。
この用意があると1日がうまく回る。アトリエに行こうが、自宅に居ようが、お昼の時間帯に車で移動しようが、自由なのだ。わざわざお昼のためにお勝手にたたなくてもよい。お茶碗を洗わなくても良い。
今年度になって、夫のためにも時々お弁当を作るようになった。彼の職場事情や勤務形態が変わったためだ。
夫にも、いつもの私のと同じ5分弁当でも良さそうなものを、そういうわけにはいかないとなぜか思う私がいる。
中身は豪華で栄養満点見た目も美しいきちんとしたお弁当を作る私がいる。だし巻き卵や焼き魚や肉料理、煮物に茹で野菜とミニトマト、ご飯の上には佃煮やらたらこやら。冷凍食品は使わない。
自分用に5分弁当を作った後で、あっそうだった今日は夫のお弁当の日だったと思い出し、慌てて一人分を特別に作ったりすることさえある。
もともと料理好きなのでお弁当作りが苦であるのではない。だが、なぜなんだろう私、と思う。
夫がそれを望んでいるわけではない。私が自らやっているのだ。
彼はおそらく、テキトー弁当でも文句は言わないだろう。
少し前のこと、早朝の新幹線に乗る予定のあった日、夫のお弁当の日と重なっていたことがあった。
私は前夜に、明日は早いからお弁当は作らない、コンビニで買うか自分で作るかしてくださいと伝えておいた。
だが、当日の朝、予定より早く目覚めた私はその時間を使って彼のお弁当を作った。
夫は、作らなくてもいいんだよとは言わなかった。それでますます私は彼の希望を忖度した。もちろん彼はその日も私の作ったお弁当に感謝してくれた。
私はモヤモヤする。
これが子どものためであったら話は別だ。
彼のためにという気持ちと義務や責任が混在して判別できない。誰のための、何のための、義務や責任なのか。
そんな小さなこと、ご主人のお弁当もテキトーなのにすればいいじゃないとこれを読んだ人は思うことだろう。
あるいはご主人にそんなに尽くしてえらいわねと褒めてくれる人もいるかもしれない。
だがそうではない小さなことじゃない。
自由になりたい。もっと自由になりたいと思う。
お弁当を作らないことで自由になるのではなく。
/////
といったことを考えていた最近、仙台を歩いていたら、火星の庭という名の古書店でフリーで配っているポスターに出会ってしまう。
折りたたんであったので折り目が気にはなるけれど紹介してみます。
イクメンも女子力もNGワードだ。
モヤモヤは口に出した方がいいのだと思う。
まずはそこから。