この家に住み始めることになった38年前、ボイラー室というものがあって驚きました。
セントラルヒーティングという設備のためのもので、給湯も暖房も全てボイラーをたいて行なっていたのです。
あなたたち二人で住むにはボイラーは不経済だからエアコンとガス式の給湯に変えておいたと義母が言っていましたが、(この家は元はと言えば義父の建てた家で、夫の家族が住んでいたのです)、ボイラーを撤去した後のボイラー室が裏庭の隅に残されたままだったのです。
そのコンクリート造りの2畳ほどのスペースに、私は昔描いた絵を始めさまざまな自分のものを逐次押し込んでいたのですが、ドアが壊れてきて雨が入るようだ、中のものを確認して不要なものは処分しようと最近になって夫が言い出しました。
持ち物は3分の1にしなくちゃと気持ちだけは断捨離モードに急になってきたこの頃の私なので、そうだね、全部捨てちゃって構わないと夫任せにしていたら、これには手紙がたくさん入っているようだよと、古いワープロの段ボールに詰められた手紙たちが運ばれてきました。
捨てられないから保管していたのだろうけれど、もう一度読み返したりするのだろうかと思いつつ、玄関の三和土まで運ばれた段ボールを放置していたら、私の留守中に夫が、いつまでも玄関に段ボールを置いておくのもどうかと思ったそうで、とりあえず空き部屋に運ぼうとしたところ、箱の底が抜けて手紙が全部出てしまったそうです。
話をそこまで聞いて、それはすみませんでしたと謝ったのですが、それでね、と夫が言うのです。
散乱した手紙の中に私の姉からの手紙を見つけた、ピアノの上に置いたから、と。
ピアノの上に、ピンク色の封筒が置かれていました。
宛名は私たち夫婦連名でした。
ぐいぐいした力強い姉の文字でした。
日付を見ると病気が一度少し寛解した頃に書かれたもののようでした。
「私は上がったり下がったりの日々を過ごしています」と冒頭にはありますが、
そこから続く便箋7枚に綴られていた内容は、叔母の家にかわれている猫と叔母の話、実家に現れたネズミを母が退治しようとしているがそれがかわいそうだからネズミ駆除の餌を本物のチーズに変えてやったといった話でした。
普通に読むと、大人が書くような内容には思えないけれど、なんだかおとぎ話のような内容でした。
私は、内容はもちろん、この手紙をもらったことさえ忘れていた薄情な妹であるわけですが、なんだか、いま、姉から届いた手紙のように感じました。
怒涛の忙しさがようやく一区切りしそうなこの頃、姉についてゆっくりと振り返る時間が生まれ始めたいま、姉は私にこんな贈り物をしてくれたのだと思いました。
泣いてしまいます。