8月6日、78年前広島に原爆が落とされた日、私は藤枝市文学館のお話の部屋でくじびきドローイングワークショップをしていました。
文学館ではちょうど田島征三展が開催中で、その関連イベントの子ども向け企画として開催していただきました。
くじドロを、生まれた土地である藤枝で開催できることはとても嬉しく、田島征三は好きな絵本作家なのでとても光栄な企画でしたが、なんとも人が入りませんでした。
おりからの酷暑で、文学館がある蓮華寺池公園には、人影もまばら。隣接の駐車場に車を停めて文学館まで歩くことすら躊躇するほどの暑さで入館者が少ないこともやむおえなかったか。当然、鑑賞者の流れをあてにしたワークショップであったのでこちらも人は入りませんでした。
ファシリテートのあいだは、普通はあまり自分でくじを引いたりはしないのですが、今回は余裕があったため私も1人の参加者となってみました。
『やさしいおげけ』というくじを引き、多分おばけのことかなと子どもの字から想像して、花の水やりをするお化けの絵を描きました。
そして、くじの箱には、『あねといもうと』という言葉を残しました。
姉が亡くなってから約1ヶ月。
姉への思いを重ねて残した言葉でした。
その言葉が引かれたのは八月19日の掛川、原泉でのワークショップでした。
引いてくれたのは小学三年生くらいの女の子でした。
原泉もまたまったりしたワークショップであったので、私は参加者全員とおしゃべりしながらファシリテートしていました。
話してみると、その子は、一人っ子でした。
向かい側の席には小学生の姉妹が座っていたので、一人っ子ということをその子に言わせてしまったことをなんだか申し訳なく思いました。
でも、その子は私のそんな心配を軽々と飛び越えて、うちにいるんだよ、とその子の家に飼われている猫と犬の絵を描いてくれました。
18歳になるネコがお姉さん、今年うちに来たばかりの犬は、いもうとなの、と。
あねといもうとはひと色ではない。
たくさんの姉と妹がいる。
猫と犬だって姉妹になれる。
あねといもうと、という言葉を残した時、そもそも私はどんな絵を想像していたのでしょう?
私と姉との間にしかなかった、あねといもうと、がありました。それはまごうかたなき事実であるのだけれど、その内容を詳しく知るのは姉と私だけです。
私は、あねといもうとという言葉を残すことで私の知らないあねといもうとを知りたかったのかもしれません。
ほかの人たちはどんなあねといもうとなの?
それを誰かに描いてほしかったのかもしれません。
そして描かれたのは年老いたネコとまだ子どもの犬。
こんなあねといもうともあるんだよとその子の絵が伝えてくれて、私はとても嬉しかった、私はとても救われました。
あなたは不幸ないもうとではないとこの絵が伝えてきます。あなたのお姉さんは不幸なあねではないと伝えて来ます。
いろんなあねといもうとがいるんだよと伝えてくれます。
くじドロの言葉は時々こんな奇跡を生んでくれるとまた思いました。
あの藤枝文学館のお話の部屋のあの日の空気と、暑い暑い原泉の旧製茶工場のエアコンのない作業スペースと、そのふたつを繋げて『あねといもうと』は、すてきに着地しました。
この絵が『あねといもう』とであった私たちを祝福してくれてでもいるようです。