毎日犬の心配と学校の仕事の片付けに明け暮れている感じがします。
犬のことは何かできるわけではないので獣医師を信じてまかせるほかはなく、犬にもそんな治療があるんだと驚きながらそうと知ったらそれではお願いいたしますと祈っているばかり、昨日も今日も。
片付けの方は、長くお世話になったある高校の仕事が今年で終わるので、準備室に長年積み重ねてしまったもろもろをやっと持ち帰って来たところです。
今は、アトリエにしている家のリビングの床いっぱいに荷物が溢れています。
年度ごとに一冊スケッチブックを新しくして、その年の生徒たちと同じ制作を毎年してきたので1996年からのスケッチブックが積まれてしまいました。
この年はこんなことをしていたんだなあと懐かしいけれど、私って本当に下手くそで恥ずかしい。時々、あ、この絵はいいなと思うものが出てきて嬉しくなったりもするけれど。。
素描の授業は毎年1学期にやっているのですが、昔より最近の方が上手い感じがします。生徒たちと一緒に成長できていたのだとしたら、いい仕事だったんだと思います。
花のスケッチは、水彩ではなくボールペンや色鉛筆の線描だけで描いているものが、自分のドローイングとクロスして良い感じでした。
まとめて全部捨ててしまうつもりだったけれどなんとなく出来ずにいます。
シラバスを見ると、ほうこの年はこんなことをと思ったり、
毎回の授業ごとに提出させていた制作ノートのコピーが出てきて、生徒たちえらいなあと感心したり、、。
五十音写真面白かったです!という感想がたくさん出てきたのだけれど、50音写真ってなんだっけ?とすぐには思い出せません。
写真の授業を一生懸命やっていたのは、スマホが普及するずっと前で、今なら高校生の方が写真は上手そうだけどその頃はまだ私でも教える側にいられたんだと思ったり。。
五十音写真とは、多分、国語辞典をクラス分国語準備室から借りてきて生徒にわけ、無作為に広げた辞書のページにあった言葉を写真のテーマにして、写真でその言葉を表現する、といった内容だったと思います。
くじびきドローイングみたいなことを写真の授業でもやっていたんですね。
自分でテーマを決めるんじゃなく目をつぶってえいっと開いた辞書のページにあった言葉をお題に撮影。いろいろセッティングしたり、友だちにモデルをさせて再現ショットにしたりした子らもいたような。。
その一枚一枚をスクリーンに映して発表会をして結構盛り上がったこと、だんだん思い出してきました。
自分の中では作家の仕事が上位でこの教える仕事の方は、ただのパートの先生、制作の材料代のため、だなんてうそぶいていたこともありましたが、確実な報酬を得られたのはこの仕事だったし、少しは誰かの役に立ち自分も成長できたのです。高校生たちとの時間は輝いていたし、尊い仕事であったと思います。
写真は、一月の最後の授業が終わった後の私です。
彼らの最後の作品は20才の自分への絵手紙制作でした。
私が2年間保管してから投函することになっています。
黒板に貼ってあるのはくじドロの作品群です。
夏のオリジナルTシャツ制作
最後の授業の日