今日は、長い時間アトリエにいました。
朝のうちに晩ご飯を作ってお弁当を持って家を出ました。
もう子どもが家にいるわけでもないのだから、ごめんね今日はご飯作らないからと言って家を出ても、さらに、ごめんね今夜はアトリエに泊まるから、とか、さらにさらに、連絡もせずに繁華街を深夜までひとりでさまよい歩いても、多分大丈夫なんだろうけれど、毎日、きちんと食卓を整える私がいます。
ひとりで過ごす時間はとても大切だといつも思います。
その時間をどれだけコンスタントに作れるかが、私における要です。でもなんとなく責任を感じてしまうのでその時間がとりにくい、のでしょう。
責任。
夫が最近の健康診断で高血圧と言われたというので、責任を感じます。やっぱり味が濃いのかなあ私の料理、とか、味噌汁を一日二回も出したら塩分過多でしょうねやっぱり、でも朝のが余ったら夜も味噌汁をだしてしまってそれがいけなかったの?など、責め苛まれるわけです。
同じものを食べている私は上が90しかない低血圧であるのだから、責任は私にはないと抗弁してもいいけれど、なんだか申し訳ない気がしてしまうのです。
そこから自由になるのはまずひとりの時間と空間な訳で、とりあえず、わずかながらも広がりがあった今日でした。
誰も知らない私になろうとしているのにまだまだだと思います。