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2024年3月10日 はじまりの美術館から赤間さんの車で会津若松へ。 福島県立博物館に着くと、ロビーには『いいたてミュージアム』の展示。これが見たくてここまで来た。 2011年、東京電力福島第一原発のメルトダウンによる放射能汚染は風向きの影響で原発から40キロ以上離れていた飯舘村にも広がって全村避難の村となってしまった。 その飯舘村の生活の記憶を残し伝える展示がいいたてミュージアムだ。 ある日突然それまでの生活全てをおいて家を出ることになった村民たちに、その人にとって大切なもの、歴史的なもの、古いもの、についての話を聞き、その『もの』を預かってケースに入れて『作品』とする。そしてその展示パッケージを全国で展示する。ケースに入っているのは、美術品ではなく、全村避難によってもう戻れなくなった飯舘村の人たちの日常とその記憶である。 東日本大震災が起こった時、日本中の人全員が、毎日を大切に生きようと思ったと私は思う。少なくとも私はそう思った。だからなんでもない毎日の暮らしのかけがえのなさを伝えるいいたてミュージアムを初めて見たときこの展示はすごいと思った。そして日常をケースに入れた根拠が、原発事故であるのだから、強く政治的な展示でもあると思った。 今日いいたてミュージアムを数年ぶりで見ると、初めて見たときよりもその強度が増していたように感じた。 13時30分から、博物館内の『なんだべや』で開かれた港千尋さんのトークは、そうした私の感想をわかりやすく着地させてくれるものだった。 『いいたてミュージアム』は、未来の記憶なのだということ。ケースの中のものたちは、ただそこにあるのではなく、未来を待っているのだということ。そう港さんは言った。 実は私はその未来に対しては少し斜めだった。 近未来では、原発事故が度重なったり、あるいは核戦争が起こってしまう。そんなこの地球でいいたてミュージアムのケースが発見される。中にあるのは芸術作品ではなく汚染前の暮らしを伝える日常のものなのに、それは数十億のプライスのつく芸術品よりもはるかに強く人々の心を打つ、そんなSF小説のアイテムのように見えてしまってもいたのだ。 だから、時間を経て、再び見るいいたてミュージアムは、ますます私には重く苦しいものに感じられた。(だからこそ意味の強度は増し、時と共に育つ展示であることも再確認したのだけれど。) だが港さんが言った未来の記憶の未来は果たしてそんな未来なのか。それもあるかもしれない、だがそうではないそれだけではない未来と言ったように私は感じた。あるいは、未来のひとつひとつを見る人に委ねるような、そんな信じ得る未来なのか、そうも思った。 最後にはニュルンベルク博物館の展示品を例に、いいたてミュージアムというものがどれだけユニバーサルなものであるかのお話でまとめてくださり、何かを確かめるように福島に来て福島を思っていただけの私にとっては、こじ開けられる思いだった。いいたてミュージアムの意味や価値は、こうやって広い知見と言葉を持つ人に後ろ盾られる。作品と批評との理想的な関係がここにあり、それがなかんずく、311がテーマであることは、重要なことに思われた。 会場の『なんだべや』は、博物館ロビーに隣接するオープンスペースで、畳とこたつがインスタレーションされた明るい部屋だ。港さんはこたつスペースでお話をされ私たちは畳ブースでそれを聞いたのだが、このなんだべや自体が、いいたてミュージアムの大きなケースなのかなと、トークの途中からそんな感覚になった。見るもの見られるものが幾重にも入れ子の状態を作っていく様は、ここが博物館であるから生まれているのか。 いいたてミュージアムの展示物には、さまざまなものがあったのだが、懐かしい、犬のたいようの写真も展示されていた。 この『作品』は、2016年、静岡へのいいたてミュージアム巡回展でも展示されたのだが、静岡での展示は、私のくじびきドローイングとの連関企画でなされていた。 いいたてミュージアムを見ての言葉を、くじドロのくじの言葉として使用し、その言葉を、いいたてミュージアムを知らない人が絵にするという趣向だった。 その時の言葉には「いいたてむらの神様」「かけがえのない日常」「いつもの朝ごはん」などがあって、いいたてミュージアムが放つメッセージをまっすぐ感じて作られたくじの言葉が多かった。それらの言葉のくじを引いて描かれた絵のあれこれが思い起こされる。 そしてこの時『犬のたいよう』という言葉もくじの言葉として残されたのだった。 たいようは、避難所には連れて行ってもらえなかった飼い犬で、住民パトロールの人たちが毎日安否確認をしていたが、ある時そのたいようの住む段ボールに猫も2匹一緒にいたんです、という写真が、いいたてミュージアムの作品のひとつとなったのだ。 2016年の静岡での『いいたてミュージアム』の展示でその『作品』をみて、「犬のたいよう」という言葉をくじびきの箱に残した人がいた。 そして、少しの時間を経て、『いいたてミュージアム』を知らない人がくじドロワークショップに参加してくじを引いて描いたものは、立派な土佐犬の絵だった。 心もとなげなたいようの写真からは想像もつかないまわしまでつけた立派な土佐犬。 たいようを思えばせつないが、たいようよかったねとそのとき私は思ったものだ。 くじドロを介することで、『いいたてミュージアム』は、原発事故という大きくて黒い必然から、小さな偶然に巡り合い、避難所に連れて行ってもらえなかった犬のたいようは立派な土佐犬として描かれて次の偶然に繋げられた。そんなふうに私は思っている。 かすかであってもここに希望と呼ぶべきものが生まれたと言ったら大袈裟だろうか。 まとまらない感想に広がっていく。そして、それがいいのだと思う。いいたてミュージアムは、時間を経るにつれ伝える重さが増え、伝える世界が広がるものなのだと思う。 芸術作品でないものが展示物になることの意味を展示制度を使って示すことの新しさは、翻って展示制度の古さを暴いてしまうけれど、それを古いと言って否定することもなく、ただ時間と平行に在るだけのいいたてミュージアムなのだ。港さんの言葉を借りてよければ、未来の誰かや何かを待ちながら。 それはつまり生きている作品、生きている展示ということなのだろう。 最近地元で通い詰めている天地耕作の展示とつい比べてしまった。静岡県立美術館で現在開催中の大規模展示、『天地耕作 初源への道行 』である。 天地耕作の完璧な図録と完璧な記録とその展示、名だたる文化人を招いて企画する完璧なトークイベントとパフォーマンスは、しかし、私には天地耕作のお葬式のように思える。みんなが弔辞を読んでいる。いみじくも、川田都樹子さんが先週のトークでその言葉、お葬式 を使っていた。 それに比べて、失われた日常と記憶を展示しているのにいいたてミュージアムはなにも弔わないと私は思った。 『いいたてミュージアム』のトークイベントが終わると、懐かしい人たちから声をかけていただいた。浪江からは馬場さんが来ていた。10年目を歩く旅で小林さんに紹介していただき、二本松の岳温泉でお話を聞いた馬場さん。あの時は農作物を作れなくなった浪江町の復興のために栽培を始めたトルコギキョウの花束をいただいたのだった。 福島大学の渡邊先生もいらっしゃった。2016年、私が実行委員長となって浜松の鴨江アートセンターで綿引展子さんのお手伝いをしたTEGAMI展。あの作品はその後渡邊先生に託されたのだが、現在のお話をお聞きすることができた。ハンブルグにいる綿引さんに連絡しなければ。 喜多方からは五十嵐健太さん。2011年の漆の芸術祭で知り合った彼は今は木こりさんだとのこと。13年前、私は喜多方のスーパー、リオンドールで買ってしまった1リットルのヨーグルトを持て余し五十嵐さんに押し付けて浜松に帰ったらしい。 さて、会津に行けば必ず夕食に誘ってくださる県博の方々。嬉しい限りだ。きっと超多忙なのに、遠くから来たのだからといつも大ウェルカムだ。 今夜はそうそうたる方々の中に私も入れていただいて、美味しい会津のお酒とお料理を楽しんだ。喜多方から佐藤弥右エ門さんもみえていた。 宴の後、宿に戻る道すがらの信号待ちで、私の明日の予定『13年目の3月11日に常磐線に乗って海を見る』を渡邊先生と港さんに伝えてみる。 明日予定が無ければ車で案内したのに残念とは渡邊先生で、港さんはなんと明日は空いているということで同行していただけることになる。
by hisakoinui
| 2024-03-20 15:21
| 旅の記録
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