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2024年3月11日 快晴 13年目の朝だ。 午前9時30分会津若松発郡山行きの磐越西線に乗る。 昨日思いがけず決まったのだったが、トークイベントに登壇された写真家の港千尋さんとご一緒している。 車窓からの磐梯山が美しい。磐越西線は途中から磐梯山をぐるっとまわりながら運行しているということを隣の席のおじさんが教えてくれる。前歯のないおじさんはサンドイッチを食べながら焼酎を飲んでいた。 郡山からは新幹線で仙台、仙台から常磐線の各駅停車、原ノ町で途中下車してまた常磐線でいわき、そして特急で東京、新幹線で浜松という旅程をふわっと思っていたけれど、原ノ町で少し長めに時間をとれるようなスケジュールを考える。 私は昨晩きちんと眠れていないことを小さく悔いていた。体力持久力はあるけれど疲れや緊張ですぐにおなかをこわすのが私のからだなので、間遠なダイヤの常磐線に乗車中におなかが痛くなって、途中下車の事態にでもなったらと心配になった。朝のコーヒーは我慢し、昼にはきつねうどんのお揚げを半分残して、さらにおなかの薬を飲んで常磐線に乗る。 常磐線の車内は、ほどほどの乗車率でごく普通の車内風景。乗客たちは今日が13年目だということを意識しているのだろうか。 新地駅を通る。 3年前の10年目を歩く旅を思い出す。3年前の午後2時46分には、緊急停車した車内で乗客全員で黙祷をしたのだったが、それはこの新地のあたりだった。あの防災スピーカーはどこにあったのかと窓からの風景に目を凝らしたが見つけられなかった。海に向かって広がる土地が続いている。 原ノ町に着く。 仙台~いわき間ではいちばん大きな駅だ。相馬野馬追いの装束の展示が駅構内にある。駅近くにレンタカー会社があるとスマホでわかり郡山~仙台間の新幹線車内で港さんが事前予約してくださってある。 レンタカーの運転席の方に私が座らせてもらった。 自分でハンドルを握って南相馬を車で走るのだ。嬉しい。3年前には、農家民宿翠の里のご主人の運転する車の助手席から南相馬の風景を見せていただいたが、その時とは違う実感がある。南相馬の広さ、海までの距離、防潮堤の長さ、作り始めた松林のサイズ、そうしたものを運転しながら自分の目とからだで確かめている実感だ。 港さんの極めて的確なナビゲーションでかしまの一本松、防潮堤、山田神社とまわる。 一本松はもうなかったが周囲にはたくさんの松の植樹があった。 広めの駐車場があり車が何台か停まっている。今日は3月11日。それを感じた初めての光景だ。今日であるからここに訪れている人たちがいる。 防潮堤は立派だった。花束を持つ青年が私たちの前を行き防潮堤に登って行った。その花束は誰のためのものなのか、友だちなのか家族なのかあるいは恋人か。やがてその青年の周囲に人が集まって来た。遠目で正確ではないがみな若い人のように見えた。 午後2時46分はこの防潮堤で迎えた。もうそろそろ黙祷をと思ったその少し後に、低く唸るようなサイレンがなった。 海に向かって頭を下げて黙祷。 ただサイレンを聴いていたのか祈っていたのか花束の青年のことを考えていたのかその全てであったのかわからないままに一分間が過ぎた。 防潮堤から見た海の色は濃い青で今日の良く晴れた青空との美しい対比を作っていた。波は穏やかだった。海岸にはたくさんのテトラポットがあった。 テトラポット。 13年前、大津波はテトラポットをもさらって陸まで襲いかかり、波にさらわれたテトラポットが被害を大きくしたこと、全て流された後の南相馬の広がる地で新しいテトラポットが作られていたこと、そのテトラポットひとつの値段とその総額の莫大さ、そうしたことを港さんが話してくださる。テトラポットをその観点で見たことがなかった。復興に投じられた予算とその使途について具体的に私は何も知らなかった。さらに、港さんたちが震災後まもないタイミングから始まって何度もこの地を訪ねていることを改めて知った。私は、震災直後から始められた福島県博の活動である『はまなかあいづ文化連携プロジェクト』のことの何を知ってきたのだろう。知ってきたつもりでいた。でも何も知らなかったのかもしれない。 黙祷後、防潮堤から海を見つめながら、私は、なんとなく自分の不遜を思っていた。今日ここに来ている人たちと、自分との間にある埋められない距離を思っていた。 海岸線沿いに立ついくつもの風力発電の巨大な風車が、さらに現実味を薄めてもいたが、私は、なんの用意もなくこの場にいることを申し訳ないように思った。 花束を持っていないということではない。ただここに来さえすればよいと思っていた自分を不遜に思ったのだ。 13年前、震災の年の夏に一度だけ私は被災地ボランティアを経験した。岩手県大槌町の避難所での炊き出しのお手伝いである。三男のインターハイ応援の合間に1日だけ遠野からのボランティアバスに乗って参加したのだったが、山間部から海に向かって下るバスの車窓から見た大槌町の津波被害の有り様が本当に凄まじかった。その時私はカメラを持っていたけれど、その風景に向かってシャッターを切ることができなかった。申し訳ないという気持ちに支配されていた。 その時と似た感覚が今度も生まれたのだった。私はこんなに鈍感でいいのだろうかと。 それで私は、港さんに質問をした。 正確な言葉が再現できないが、福島の人たちへの遠慮のような思いを持つことはありませんか、と質問した。震災直後から被災地で写真を撮ったり調査をしたりすることへのエクスキューズはなかったか、という意味で尋ねた。 すると港さんは、躊躇なくきっぱりとした口調で、それはないとおっしゃった。強い目の光も感じた。 そこには写真家としてのプロフェッショナルな姿勢と、広く世界でフィールドワークによる調査研究を重ねて来た人の経験の層が見えた。あるいはそこに使命というものもあったのかもしれないが、倫理観とは別のカテゴリーで生まれる能動的な何かがあるとも感じた。私は救われる思いとなった。同時に私自身の眼差しの揺らぎや不確かを自覚することができた。 さらに言えば、誰もがみな別々の目で世界を見ているのだということまでが私に迫り、それが私を熱くし、ひとりでなくここにいられたことの幸運に感謝した。その方が私はより私自身であれたから。 昨日、猪苗代で再会した平山さんの言葉を聞いてから、ずっと私は揺らいでいたけれど、私は私の目で見ればよいしそれしかできないのだと思った。でもそのためには、もっときちんと自分を整えて準備してここにいなければならなかったとも思った。 山田神社では、今日のための神事が行われていたが、それを司る神主さんは、なんと、福島県立博物館の学芸員であった森さんだった。農作物の供物で飾られる祭壇に榊を手向け、ニ礼ニ拍のお参りをする。これをさせてもらえてよかった、ここに来てよかったと思った。 13年目という数字について港さんが13回忌とつなげて話してくださる。そうか13はそんな数字でもあるのだと思いながら山田神社から海を見下ろした。港さんが撮ってくださった。 レンタカーを返してまた常磐線普通列車に乗っていわきまで。いわきからは特急に乗ったのでもう安心。予定通り東京駅から新幹線に乗り、おなかをこわすことなく帰宅。 13年目の磐梯山は美しく、相馬の海と空は青かった。私はまた、福島を歩くだろう。何年目であれまた歩くと思う。
by hisakoinui
| 2024-03-22 13:00
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