少しあいてしまいましたが書きたいことは、たくさんありました。
35年も勤務した高校講師の仕事のこととか、離任式のスーツも着替えずにそのまま車で走って山陰や広島を旅したこととか(もちろん事前に着替えを詰めたスーツケースを積んでおきました)、岐部琢美先生の個展で先生に会えて先生の暖かい言葉にとても救われたこととか、さとう陽子さんの個展がとってもよかったことだとか、今やっているグループ展のことだとか、私の数少ないコレクターさんのひとりである競艇選手のK君が綺麗な奥さんを連れてアトリエに作品を買いに来てくれた嬉しすぎる日のこととか、エトセトラ。
ゆっくり書きたいような、いまの桜のように散ってしまっても全部もういいような、そんな春です。
そんな中、息子たちが通った小学校が開校150周年記念とかで23年前子どもたちが埋めたタイムカプセルを掘り起こすという行事がありました。長男がそのために帰省するというので、それじゃあ犬の面倒お願いねと旅に出た訳ですが、帰宅したらダイニングテーブルの上に、次男のタイムカプセルの中身が置いてありました。長く帰って来ない次男の分も掘り出してくれたのです。
その頃の次男は不登校中で、タイムカプセルに入れるものや自分の言葉を出すようにと学校から言われたけれど、そうしたことの一切ができないでいたのでしょう。次男に代わって、なんと私が次男のタイムカプセルの言葉を書いていたのでした。すっかり忘れていました。次男が書いたような文体で私の文字で書かれています。
22年後の私へ
(タイムカプセルを開ける予定は昨年だったらしいのでこの数字でした)
22年前の今日は、学校を休んでいます。コーギーのメス犬のピッピとこたつにもぐって高橋留美子のまんがを読んでいます。お母さんは隣でDr.マリオをやっています。今は22年後のことなど考えられないけれど、22年前の冬の日々のことを思い出すのだろうか。お母さんは涙ぐんでいます。今日はお母さんと一緒にお昼にオムライスを食べました。
私の字で書かれた言葉の紙をどうやって提出したのか、お兄ちゃんに持って行かせたのか全く思い出せないけれど、今読むと、学校に行けない次男のことがこんなにも心配だったのかと思います。
一緒にこたつに入って漫画を読んだりゲームをしたり、オムライスを食べたり、そんな幸せな時間を過ごせていたのに、なんて泣き虫なお母さんだったんだろうと思います。
23年前、私は次男をちゃんと抱きしめていただろうか。そうであってほしいと思います。
この時彼は四年生の3学期。不登校が始まった頃でした。
私は毎日、母としての自分を裁き続け不安で苦しくてたまりませんでした。なぜどうしてとそればかりで、この子はこのままずっと行けないままなのかと先の心配ばかりしていました。
次男は結局中3までほぼ不登校でした。五年生3学期から中学卒業までの4年余りはほとんど登校しませんでした。それでも、高校生になれたし、部活やバイトの高校生活を送り親友も出来て、少し人より時間がかかったけれど大学にも行き、今では社会人です。
今となってはあの日々が懐かしく、3人息子の誰よりも長くあの子と一緒にうちにいてお昼を一緒に食べていたんだと思います。
思いがけず、私のためのタイムカプセルとなってしまったのですが、時間とはことほど左様に直線的ではなく、突然目の前に現れても来るものなんだなあと思い、何よりも、もう何年も帰省して来ない今の次男に会いたいと強く思ったのでした。