何度か目の着物マイブームが訪れている。
お茶会に出向くわけでもないのですが、着るのが楽しくてハマってしまう感じに時々なる私です。
結婚した年の最初のお正月の里帰り、私は豪華な付け下げ訪問着で実家に帰りました。夫の母である和子さんが用意してくれました。
まだ20代の新婚の花嫁はそれがこの家のやり方なのかと思って従いました。オレンジ色の地に大きな牡丹が描かれたとても美しい着物でした。和子さんが眩しそうに私を見ていました。
その後、子を授かるまでのあいだは、折にふれて着物を楽しみました。それはあの牡丹の付け下げを着たからこそで、これが最初の着物マイブームです。
次は40代まんなかごろ。
ドイツで展覧会、ということになった時、また和子さんが、レセプションで着たらどう?いちばん派手なもので、と考えてくれました。え?現代アートの展覧会で着物ってどうなの?と正直思ったけれど、何となくその流れのまま着物一式をスーツケースに詰め込みました。異国の地で、姿見無しでひとりでお太鼓を結べるか不安だと言ったら付け帯を作ってくれた義母でした。果たして着物はドイツ人に大ウケしてクレーフェルトの地元紙に和服姿の私が載りました。
それからしばらくの間、40代の私はしばしば着物を着ました。楽しかったのです。長男の卒業式で保護者代表謝辞を述べることになってしまった時もまた義母が考えてくれ、彼女の漆の刺繍の上品な着物を借りました。
和子さんは、私が着物を着ることがとても嬉しいんだということがよくわかり、彼女のために着物を着ていたこの頃かもしれません。
夫の姉である和子さんの長女も、孫娘も、和子さんにたくさん着物を仕立ててもらいながら、ちっとも着ないので、私がその役割を代わりに果たしていたのかもしれません。着物を着たら必ず和子さんに見せに行きました。いつも喜んでくれました。和子さんは着物が本当に好きなのでした。それは、おしゃれとか衣装持ちの範疇をやや超えていました。私のためにいろいろ見立ててくれる時の和子さんは楽しそうでした。
真夏生まれの私の誕生日に和子さんから夏用の付け下げをプレゼントされたことがあります。義父からどんな柄にするのか彼女はずいぶん時間をかけていたよと聞かされました。それなのに私は義母の存命のうちにその着物に袖を通すことがありませんでした。真夏に付け下げで行くようなお呼ばれがなかったのです。そして今もまだそのままです。
次のブームは50代後半。私は和子さんのお世話をする人になっていました。認知症になった和子さんは着物への関心が薄れてしまったようでそれが私には寂しかったけれど、全部いらない全部久子さんにあげると言うので、私は義母の箪笥の中身のすべてを見ることになりました。
そこには私の知らない豊かな歴史と文化がありました。和子さんのお母さんのものであったろう総刺繍の丸帯はおそらく100年もの、この着物たちを大切にしたいと思いました。
そして今。
着物を自由に楽しむ友だちが周囲に現れて私も彼女たちのように素敵な女子になりたいな!という感じでまたおりふれて着ています。多くは和子さんの着物です。
供養の意味で着るのではありません。着物を通して和子さんと女同士の対話をしている感じがします。もっといろんな話を聞いておけばよかった教えてもらっておけばよかったと思います。
今のマイブームはいつまで続くのか。
ちょっと前、まゆみさんと着物で会いましょうのお出かけをしました。静岡市美と金座ボタニカへ。。
スニーカーで和服だっていいんです!と自由な彼女と楽しい時間でした。