夫の両親がかつて住んでいた家を制作の場所と作品の保管場所にしている。と言っても、家全体を使っているのではない。家の中の一部だけを使っているのだ。
彼らのものを片付けたのは義母が亡くなった5年前。全てでなく、私のスペースのために何箇所かを空けて、そのほかはそのままだった。
最近、あるきっかけがあって、その家全体を私のアートの空間にすることに決めた。それで自力で大片付けを始めたが埒があかないし、何よりどんなふうにという最終形態の展望が持てないでいた。
一級建築士の天野さんに来ていただいて家全体の現状を見てもらったところ、大まかな展望を考えてくれた。だがその前にまず、今あるものを3分の1にしてくださいと言われた。
第二次遺品整理がこうして始まった。
実感するのは、人のものの処分は時間がかかるということだ。
自分のものなら、なんでもエイや!と捨てられるのに。
第一次処分では捨てられなかった本棚の残り。
百科事典は、ブリタニカと平凡社の2セットがあって、なんで2セットも買ったのよと思う。
主婦の友社の実用家事百科事典は料理の巻だけ結婚時にいただいてよく使った。残り5巻も役に立ちそうだけどもういいか。
日本文学全集36巻これも捨てるしかない、持っていたい気もする。でも読まないだろう。
ドラッカーの全集。これは息子に送ってみるか。
極地研究の毎年の報告冊子がずらっとあって、表紙グラビアの南極の写真が美しく、捨てられない。研究者の撮った写真は面白い。でも捨てるのかな。極地の地図がたくさん出て来てどれも美しく、額装したくなる。
お母さんの書道の本、お茶の本、裏千家の豪華本などは捨てられない。
第一次処分では、見ないことにしてタンスやクローゼットにそのまま押し込んでいた衣類の残りが私を苦しめる。
お父さんの背広コートネクタイどっさり。お母さん、なぜ片付けておいてくれなかったの?
お母さんのよそ行きのスーツコートワンピースジャッケットたくさん。なぜこんなにと思うけど、夫人同行の機会がたくさんあったんでしょう。いつもいやいや出かけていましたね。同じ服ではダメだったの?しかしこれらは誰が着るのだろう、私は無理です。物も良さそうだし捨てるのが忍びない。全て保留。この保留が私をさらに苦しくする。誰かもらってくれませんか。。。
書くことで片付けの速度が増せばいいなと思いぼやいてみました。
続く。