ぼやきながらも次第に片付いてきました。
流れで自宅の方の片付けにも手をつけました。
夫の両親の住まいだった家から、私たちの今住んでいる家に運ぼうかなのものが出てくると、じゃあ自宅も片付けないととなるのでした。
長く大切に保管していたものから捨てると片付けは進むと助言してくださった方がいて、それではと、ウェディングドレスと毛皮のコートを捨ててみようと思いました。どちらも、今後の人生で着ることはないでしょう。
ウェディングドレスをなぜ持っているかというと、披露宴の会場が、いわゆるホテルや式場でなかったため、レンタルセット料金的なものがなく、買おうかなとなったのでした。毛皮のコートの方は、東京で学生をしていた頃、家庭教師先のお宅から有名中高一貫私立合格のお礼としていただきました。イナカモノの私は『お受験』の何たるかも知らず、都会では合格のお礼の品として家庭教師にこれを!と驚いたものです。なぜそんな高価なものがいただけたのかは後日わかります。お受験のおぞましさ。しかし、20代の私にはそんなものは似合わず、一度だけそれをきて歌舞伎を見に行ったきりでした。暖かい静岡では毛皮は要らないし、数年前に流氷を見る旅に出かけた時も、しっかりしたダウンコートを新調しました。
それで、ドレスと毛皮を浜松市指定のゴミ袋に突っ込んだのですが、そこで私は立ち止まりました。
これをアートの素材に使えないだろうか?
なにかのインスタレーションに?刺繍ドローイングの支持体に?
大きなコラージュを作るかもしれないし、、
かくして洋服ダンスからは出たものの、袋に入ったまままだとどまっています。
そしてアートの素材に、という可能性について広げると、どんどんモノが捨てられなくなっていく、というぼやきに落ち着きました。
と、ここまで書いたところで、ウェディングドレスを着た昔の自分を見てみようと思い立ち、記念アルバムを引っ張り出してきて出てきたものがこれです。

なんと、ドレスは洋服ダンスの中で39年間純白だったのに、写真の方は惨憺たるシミだらけです。
写真もまた、モノだったのだと実感します。現代の「写真」は、画像でありデータに過ぎないのだとそれも思いました。
そしてシミだらけとなってもこちらのモノは捨てられません。
記事としては迷走しましたが、これはこれとしてアップロードします。39年前の私、若いです。そして、もしも今この結婚を反故にしたら、私は誰に迷惑をかけ誰に土下座で謝ることになるのかと悩んだ翌日とも思えない可愛らしさ(自画自賛)。しかし万事結果オーライということで!!
ということでまだまだ片付けも迷走中です。