八月✖️日。豊橋にあるボーリング場に出かけた。
小林あつこさんから展覧会の案内状をいただいて
カードの住所をナビに入れて着いたところがボーリング場である。
入場してすぐのところにちょっとした健康コーナーがある。血圧計や体組成計がありちょっとしたストレッチならできそうなマット敷きのスペース。ここは高齢者の健康ランドでもあるのか。
でもれっきとしたボーリング場であり遊興施設である。ピンの倒れる快音が聞こえる。
あつこさんの作品は健康ランドエリアとボーリングレーンの間を仕切るような壁に展示されていた。
手書きのキャプションとプライス、いただいたカードと同じデザインのポスター、そして新作と思われる作品たち。
作品は、とても良かった。
小林さんのこれまでのモチーフは、風景、静物、人物、といったカテゴリー。半具象の油彩で春陽会という公募団体に属している。
だから、私とは方向性が違うし、以前の私であればまみえることはない人だったと思う。
だが、今私は小林さんの絵を描くのが好きというシンプルさで自分の表現に真摯に向き合い、研鑽を積み、発表を続ける姿に打たれる。何より作品自体が面白い。今回はさらに、地方都市の国道沿いのボーリング場のこのスペースで新作を発表するという強さに驚いた。私にできるだろうか。フラットな人だ。
公募団体というだけでどこが残念な気持ちで見てしまう私はかつていた。今もかすかにいるだろう。
だが美術は、歴史を上書きすべく新しい表現に挑戦することだけが価値あるものなのか?
小林さんの新作は彼女の歴史を上書きする崇高なものだ。ボーリング場の通路の壁に展示されてはいても。
この春、上野の国立西洋美術館で開かれた話題の展覧会の会場で、偶然小林さんに会った。
この展覧会は、日本の現代美術と美術館の関係を問うもの。美術の最新に敏感な人たちが行くのが相場と思っていたので、少し驚いた。
聞けば小林さんは豊橋から月に2回上京し、裸婦デッサンの教室に通っているという。
中学校の美術教師を定年前に早期退職し、以後は絵を描くことに専念しているのは知っていた。
帰りの新幹線を合わせて帰途に着いたので車中小林さんの知らなかったあれこれを聞く。
高卒で銀行に就職したが飽きたらず通信教育で短大卒単位と教員資格をとり中学校教員の採用試験に合格し美術教師となった。教師の仕事は本当に忙しく絵を描く時間がなかったし、何より美術の専門教育を受けていないから今学んでいる。
それが裸婦デッサンの根拠だった。
豊橋で拝見した作品は人物が多かったが、正当的な具象ではなく大きくデフォルメされている。月に2回の裸婦デッサンが大胆なデフォルメを支えているのだろう。精神的にも技術的にも。
小林さんは1955年生まれ、今年69歳。
高齢になっても生きがいを持って生きる輝くひと、みたいなありがちなストーリーと似て非なる物語が小林さんにはある。両者のストーリーの間にあるものはなんだろう。
それは何より小林さんの作品が物語っているように私は思った。
すぐにアトリエに戻って自分の絵を描きたいと強く思った。