妻有のことを書いておこうと始めたのに二日で挫折し、もう九月になってしまいました。
さまざまなメディアでこの越後妻有アートトリエンナーレについて取り上げているのでもう今更書くこともないのかもしれませんが、それでもいくつかのことを書いておきます。
といっても実はこれから妻有に出かけると言う友人にマップも書き込みしたガイドブックも全部渡してしまったのであまり具体的には書けなそうですが、、。
話題になっている日大芸術学部彫刻科の『脱皮する家』はたしかにすごく面白かったけれど、そのわりと近くにあった、この『風のカーテン』もよかったです。細い道をずーっと奥まで走らないと辿り着けなくて、いちど????状態になって引き返して『やっぱりこっちだよね』と思い直して進んで見つけられました。
ことほど左様に今回の作品は鑑賞者を奥へ奥へといざなうのでした。
妻有の里山を奥へ奥へと走っていくと美しい棚田の風景が眼下に広がり、作品もさることながら、このやさしい緑の美しさにこころ打たれるのでした。しかし、同時に山奥の道のいく箇所では、中越地震の爪痕なまなましく、まだ道路が補修されぬまま通行止めになっていたりもするのです。この地方の経済の問題をつきつけられてしまったようで、観光していることへのうしろめたさも芽生えてしまうほどの現実でした。
さて、、、
これは地震のために変形してしまった駐車場ではありません。名前も作者も忘れましたが、作品です。
今までに私がふれたメディアでは誰もこの作品についてコメントしていないし、話題にもなっていないのですが結構面白かったです。アスファルトを変形させる(もりあげる)作品ってその造形性に力があるし(後ろのほうの小山のようになっているアスファルトも駐車場です、駐車できないけど)、地震のこともそうだし、田中角栄のおかげで全ての道路が舗装された新潟県自体をも表しているとも言えるし、記憶とか物語といった作品ばかりで食傷していた私には新鮮でした。(廃屋利用、空き家プロジェクト、村の記憶、記憶のメタファー、そうした作品がとても多かったのです。でも幹線道路は誠に立派だし、広々と堂々とした風景もたくさんありました。土地の物語に依拠しないで造形性だけで作品として自立させていたのがよかった、暑い暑い新潟とアスファルト、強烈でした。)
そうそう同行の三男のお目当てだったクワガタは全部で13匹捕獲しました。例年ならもっといるのにね、ということでした。遅い春、長い雨と妻有も異常気象だったそうです。
新潟にカムイ伝を持っていきました。7月末から読み始めて終わらなくて続きを積んでいったのです。はじめてカムイ伝を読んだのは数年前ですが、その時は江戸時代の身分階級制度のことが強烈に心に残りました。今回は、越後妻有で読んだせいなのかどうなのか、白土三平が描く『自然』に対していろいろなことを感じ考えました。『里山』は全ての日本人のDNAに刷り込まれている原風景ではないだろうか、、なんて。