と、言ったのは、ニーチェ?
日曜なのに小学校の授業参観とPTA総会。総会のあいだ、ドイツ現代文学を読む。『夜』トーマス・ヘッチェ。ベルリンの壁崩壊の日に殺された男が死に行くまなざしで倒錯した性を語る猟奇小説。ベルリンの日やナチのことが出てこないドイツ現代文学はないのか?
なんというか、逃避しております、読書という行為に。もう、かれこれ2週間くらい、停滞している感じがしていて、やるべきことはあまりにも明白なのに、それをすすめることができないのです。それでつい本ばっかり読んでしまう。
ドローイングという行為の中へも、逃避しております。今日は黒のハイテック0,3ミリと色鉛筆で小さいけど濃いのを描いた。描いているととても楽しい。でも、本当はもっと違う制作をしなくてはならないのです、報告展にむけて。それはやりたいことなのに、イメージもできてるのに、その制作を始める一歩が出せないのです。
でも、本を読んだりお絵描きしたり、長男とビデオをみたり、ごろごろして楽しく、こういうふうにふわふわ過ぎていってしまっても別にいいんだけどな。
もしかしたら、こういう、ことばにならないもどかしさのようなものは、無理にカタチにしないでこころのなかにたいせつにしておいた方がいいのかもしれない、と今ふと思いました。みなさんは、どうですか?