浜松市美術館で『バウハウス・デッサウ展』をみる。
バウハウス美術館へはベルリンでもワイマールでも行ったけれど、このデッサウ展、かなり秀逸でした。バウハウスはデッサウ時代が華だったのか。
バウハウスは19年間しか続かなかったデザイン学校なのにその影響は今日でも絶大、あの1910年代の熱いムーブメントというのはすごかったんだなあと改めて思います。今日見たプロダクトデザイン作品、平面作品、80年たってもセンスに古さを感じないし、デザインの基本がしっかりと造形されていて見事なものばかり。デザインとセンスといえばイタリアかなと思う事も多いけど、この骨太さ、やはりドイツですねえ、と思うし、創始者グロピウスの偉大さも実感。
当然ながら、パウル・クレーのコーナーもありました。
卒論と修論の両方をクレーで書いたわたしだけれど、最近は封印していたのですが、、。
クレーは1922年から10年間、バウハウスで教えているのですが、教師としての切り口で見た今日はものすごく彼が新鮮に感じられました。
彼の講義録は本になっているし(『造形思考』『無限の造形』)、それらも持っている、教えた学生の作品も見たことがある、それなのに今日はやけにクレーってすごいなと思いました。
クレーは44歳からの10年間、芸術家としての充実期にかなりのエネルギーを美術教育に注いでいます。グロピウスにマイスターハウスを建ててもらってそこに住んでるし、形態論というバウハウスの中ではかなり重要な基礎講座を担当しているのだから、片手間の仕事ではなかったはず。
過去の自分の知識と今日見た展示資料をつきあわせてみてわかることは、クレーは自分の制作と教える仕事を完全にクロスさせているということ、もっと言えば、教える仕事を深めれば深めるだけ、作品も進化し深まって行ったと思える事です。この時期のクレーは線描からフォルムへと自分の造形上のテーマを変えてさえいる、これはまったくバウハウスでの講義とリンクします。
明日から非常勤の仕事の二学期が始まるわたし。
これはこれ、それはそれなどとエクスキューズして、『パートの先生』モードの授業をしてきてしまったのではないかと自分をふりかえりました。
生活している時も、絵を描いている時も、センセイをしている時も、ひとつの自分でありたいと思いました。