すこし前のことですが、keiさんと、ベオグラードに住む詩人山崎佳代子さんのおはなしを聴いたのです。それからすこし世の中の見方がかわりました。
セルビアに小さい作品を送った時もあまりリアリティはなかったのに。
アブラモビッチも好きですが、なにか画集の中のできごとのようで。
それが目の前に、NATO空爆下で詩の言葉をしんじて暮らしていた人がいる、という現実。まずその人の人生と自分とがあまりにもパラレルだった事をつきつけられ、しかしそのひとのなまのこえをきくことで、あ、いまクロスした、というちいさな実感がありました。
詩の言葉で社会を変えようとおもっているひと。なんてすごい。
そのあとは、たくさんのパラレルライフは日常にあふれている、というふうに世の中をみる、ようになった、ようだ。もちろん平和という事についても考えたけれどそれ以上に。
たとえばバスにのるとポルトガル語が日本語と同じ大きさで表記されている、のに、私はその言葉を読む事すらできない。3万人近くのブラジルの人が浜松にはいるそうです。