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by hisakoinui
| 2019-09-24 12:21
| みてきた展覧会
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あいちトリエンナーレ2019、開幕から一週間、「表現の不自由展・その後」の展示中止からは4日がたとうとしています。 この一週間、SNSや各種メディアの情報に釘付けとなっていました。 何をしていてもそのことが頭から離れなかった。炎上記事の言葉に触れていると疲れ果ててしまうのですがそれもやめられませんでしたし、私の考えを代弁してくれているようなツイートを見れば、この人はしっかりと言葉にして発信できているのに私は、、と思ったりしていました。 とりあえず、一人の表現者として、一人の市民として、自分が見たことの記録と感じたこと考えたこと、今思っていることを書いておこうと思います。 7月31日午後から夕方にかけて、名古屋市美術館と愛知芸術文化センターの二会場を見ました。(一般公開に先立って行われる内覧会というものです。) 名古屋市美術館では、気になっていたモニカ・メイヤーの作品に参加してきました。過去に経験したセクハラについての記述を残すというダイレクトなものでしたが、自分の体験を書くことに大変なエネルギーを使いました。 青木美紅という22歳の作家の刺繍インスタレーションがものすごく面白かったのは、自分もずっと刺繍ドローイングをしているからかもしれませんが、若さゆえなのか、新感覚とエネルギーに満ち溢れパワフルで圧倒されました。。。 という風に私のあいトリ鑑賞は始まりました。 問題の『表現の不自由展・その後』は、愛知芸術文化センター8階の奥まったところが展示スペースでした。 名古屋市美からタクシーで移動、芸文センターは10階からの鑑賞ルートだったので、この展示に行き着いた時には閉館時刻の17 時が迫っていました。 会場に足を踏み入れるとそこだけが何か違った雰囲気というかちょっとした熱気に包まれていた感じがしました。他の展示会場より人が多い印象だったのは展示作品の数に対してスペースが狭かったからかもしれませんが、やはり注目企画であったからでしょう。テレビのクルーもいて、鑑賞者や作品を丁寧に撮影していました。 会場入り口から作品の一つ一つキャプションを読みながら進んだのですが、こんな作品があったのですね、そして展示が中止になったのですね、と自分の無知を知らされていったというのが素直な感想です。 昭和天皇の写真を使ったコラージュ作品や、その作品が展示されなかったことへの別のアーティストからの抗議の手紙、図録を焼いた灰が展示されていました。 私は、嶋田美子さんの、手紙と灰の作品はアートだと思いました。 Chim↑Pomの『気合い100連発』の映像がありました。え?これも今では不自由なの?ととても驚きました。東日本大震災直後の瓦礫の中で若者たちが円陣を組み気合いの言葉を一人ずつ大声で言っていくという映像、過去にも見たことがあります。これのどこがいけなくて展示中止になったのかわかりませんでした。この「表現の不自由展・その後」展の中で一番表現の不自由を伝えてきた展示です。2011年から今現在までの間にこんなにも社会は息苦しくなったのかと。 五美大展で展示拒否された学生さんの作品がありました。 『お土産の菓子折り』が作品でした 『アルバイト先の香港式中華料理店の社長から「オレ、中国のもの食わないから」と言われて貰った、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子』というタイトル、テキストが添えられていました。国立新美術館は、ナマモノだから、腐敗するから、という理由で展示拒否をしたそうですが、それは表向きのことと伝わる展示でした。 五美大展には時々足を運んでいますが、香港のお菓子が差別について考えるテキスト付きで卒業制作として展示されていたら、五美大展面白いねと言われるようになるのにと思いました。 『平和の少女像』は奥の方のスペースにありました。 ミニチュアの鋳造品と、実物のFRP作品、少女の隣に座ってみてくださいの椅子、が並んでいました。 少女像はとても文学的な彫刻に感じました。 裸足の両足のかかとが浮いていました。 自分の足を地につけることができないこのありかたは、日本軍の性暴力の対象とされた女性は、母国韓国でも汚れた女性として扱われ、受け入れてもらえなかったことをあらわしているそうです。自分の居場所をなくしてしまった少女、自分が地に足をつけることができない少女の裸足の足。 このことを知れば、この少女像が反日のシンボルとして作られたものでないことがわかると思います。 肩に止まっている小鳥、膝の上で握られた二つの手、おかっぱの髪の不揃いな切られ方、などにも作者の思いが込められていることも後から知りました。 少女像の後ろの床には影が表現されていて、それは慰安婦の女性たちの人生の時間をあらわしているそうですが、この影のことは気づきませんでした。 少女が椅子に腰掛けていたから、彫刻の高さは私の身長よりも低くて、私は少女の頭を撫でてあげたいような気持ちになりました。 過酷な人生を歩まされた女性たちへの思い、それを引き出してくれたこの彫刻は佳作であると思います。 だからこそ、思うのですが、展示の仕方が少し気の毒に思いました。 一人一人がこの少女の像をもっと大事に思いその隣にそっと座ってみたくなるような展示にしてあげたかったと思います。 表現の不自由に関する緻密な年表がありました。 この国で、展示まかりならぬとされた作品や、展示が中止にはならなかったが、主催者側がナイーブな対応を余儀なくされた例など、とても丁寧にわかりやすく『表現の不自由』について時系列であらわしてありました。 時間が足りず全部を読めませんでしたが、こんなにもたくさん!ととても驚きました。 政治性が強いもの、左翼的なイデオロギーが濃厚なものばかりではなく、例えば、数年前、森美術館での会田誠『天才でごめんなさい』展での『犬』シリーズのことものせられていました。障害者団体からのクレームがあって展示制限が行われたといった事だったと思います。 こうしたことからも、『表現の不自由展・その後』は、思想的なものが軸になっているのではなく、表現の不自由についての過去の例を伝え、こうしたことについてあなたはどう思いますか?と問うている展示であることがよくわかりました。とても明快な展示で、それに対して私は素直な鑑賞者であったと思います。 ただ、作品の一つ一つが資料扱いな感じだったことが、作家としては少し気になりました。 作品一つ一つに対して、作者ひとりひとりに対して、もっと丁寧に寄り添う展示はできなかったのかなと。 もちろん、資料的に扱うからこそ、企画のコンセプトが明快でわかりやすかったのですが。 「表現の不自由展その後」の再開は厳しいかも知れませんが「『表現の不自由展・その後』のその後」を、作っていけばよいのではと思います。 こんな風に思う私は楽天的過ぎるでしょうか。 あるいは、作っていかなくても、歴史が伝えてくれるのではないかと思います。何がアートであるのか、ということも含めて。 大きな声をあげたり大きなことをしたりすることは私にはできそうもありませんが、私が私なりに考えてやれることをして行こうと思います。時には誰かと一緒に、ということも大切かも知れません。 中止はとても残念に思いますが、いろいろな動きも出てきたようですし、しっかり見て行こうと思います。 ▲
by hisakoinui
| 2019-08-08 01:24
| みてきた展覧会
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5月21日火曜日 朝から強い雨で警報や避難勧告が出ている静岡県でした。 葛飾北斎の富嶽三十六景全46点の展示、MOA美術館は今日が最終日。 迷ったけれど雨をやませて午後の新幹線に乗って熱海まで。 MOAは世界救世教のことです。 長いエスカレーターを7回も乗り継いでやっと広い展示室にたどり着くMOA美術館。宗教おそるべし。 北斎の富嶽三十六景全46点全てを一度に見るのは初めてです。 最終日だけあって、案外たくさんの人がいました。 いかにも美術の畑という雰囲気で、線とか構図とか色とか造形的な観点で見ている感じの人たち。若いカップルたち、など。 おばさまたちのグループなどは、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、わあ保土ヶ谷だって昔はこんなだったのお?江尻って清水でしょ風強かったのねえ人が飛んじゃいそうねなんて声を館内に響かせていました。 私は、いかにものゲージュツ家っぽいおじさんの寡黙な鑑賞よりも楽しみながら見て回るおばさまたちの方が浮世絵の鑑賞のマナーとしては正しいように思います。浮世絵は江戸の庶民の芸術だったのだから。 と言いながらも、私もひとりで長い時間寡黙な鑑賞をしてきたのですが。 北斎は、やはり、うまい。画力が凄いと思う。 達筆だと思う。圧倒的だと思う。 柔らかい線も繊細な線も味のある線も強い線もまっすぐな線も、描ける。 それはやはり描いて描いて描いて描いて、いたからだと思う。 北斎の線が好きかというと、それはよくわからない。 例えば私はアメコミの線は実はちょっと苦手です。どんなにうまいイラストでもアメリカンコミックの線はどこか私を遠ざけます。 (だったらディズニーや手塚治虫はどうなるの?ということになってしまうと困るけれどディズニーの線は私の中にはない) その意味で、北斎の線はどうなんだろう。好きか嫌いか。 大好きではない感じがする。アメコミの線の真逆なのにそう思う。 デッサン力相当だけど真面目だなあとまず思ってしまう。 柔らかくて優しい線が描けるのは北斎のからだや心が柔らかくて優しいからではなくて柔らかくて優しい線を描く鍛錬をしたからではないかしらという風に見てしまう。 肉筆画の軍鶏図がありました。若い日の作品です。キリッとすっきりと二羽の鶏が描かれていました。 軍鶏図といえば伊藤若冲だけれど、若冲と比べてどうかというと、私は若冲です。あの過剰あの広がり、あの、どこかイっちゃってる感じ。好きだなあと思う。 北斎は画狂老人卍なんて自称してもいて、私生活はかなりイっちゃってたようですが、実はすごくストイックな人だったはずです。キワモノの絵でもストイックだと私は感じます。 逆に若冲の私生活は裕福でスタンダードで折り目正しい市民生活だったとどこかで学んだ気がします。 (でもストイシズムは芸術を極めるとも思う。マチスもジャコメッティもみんな。) さて富嶽三十六景に戻ります。 もちろん私は一つ一つを相当感心しながら見ました。だって本当にすごいのだもの。 そしてこの浮世絵版画の版元はどんな人物だったのだろうと思いました。 名所絵は浮世絵版画の中の一つのカテゴリーであるわけですが、そこに、富士山を持って来た人の企画力すごいです。 富士は日本人全員が知る山であり修験の地であり霊場であり美の象徴でもありとにかく富士が入っている名所絵のシリーズ物という企画を考えた人誰!?と思いました。 北斎はその企画の中で画中に富士を入れることを楽しみ、旅をしスケッチし、構図を考え、70歳までに培って来た自らの絵師としてのスキルすべてを投入しているのでした。楽しかっただろうなあ。 だらだら書きましたが、閉館時刻まで富嶽を楽しみまた7回エスカレータを下ってバスに乗って熱海駅。 熱海には駅前温泉という500円で入れる公共温泉があります。 駅前と名乗りながらほんのちょっと歩きますが、その昭和全開の風情といい番台のおばさんといい、源泉かけ流しのちょっと熱めのお湯といい、私の熱海はここにありのスポットですが、今日も私はタオルを忘れずリュックに入れて行った良い子でした。 帰りもまたこだまに乗って、午後8時には自宅キッチンでエプロンをしていた、熱海半日北斎の日でした。 ▲
by hisakoinui
| 2019-05-22 23:18
| みてきた展覧会
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最近見た展覧会より 金座ボタニカ/静岡 中安モモ展 ピンクは血の色3 一見ナンセンスな造形物群。でもこのシリーズを何年も何体も作っている行為はナンセンスではない。 造形物も不気味では全くない。アートと工作の間でゆれる。私もやりたくなった。 ギャラリーsensenci/静岡 家入瑞穂彫刻展 23歳の家入さんは、筑波大の大学院一年生から二年生になるところで、9月からイタリア留学が決まっています。 彼女が静岡大4年の時、実家は広島なのに教育実習が浜松の中学校になってしまい、二週間、私の、アトリエにしている方の家に住んでもらったご縁で親しくなりました。 家入さんの、自分のからだの一部を拡大して作っている作品もよかったけれど、23歳の彼女を見ていて23歳だった自分を思い出しました。 23歳の春、私も家入さんと同じ大学院の一年生で、3月から4月、バックパックで、ひとりでヨーロッパ中の美術館をまわり、クレー研究のためにスイス、ベルンのクレー財団に通ったり、ウィーンにいた研究室の先生を訪ねたり、しました。 その時のことが今日はなんだかとても鮮やかに蘇りました。 23歳の家入さんがまぶしかったけれど、私ももう一度23歳になろうと思えばなれるかもしれないとも思いました。もちろん、精神的に、です。 23歳の時のように、なんでも見たい、なんでもやりたい、なんでも知りたい、そして、なんでも見れるしやれるし知ることができる、今からだってと思わせてくれた家入さんでした。 実はこの頃ずっとそのことを思っていたので、家入さんによってその気持ちが確かめられたということかもしれません。 世間的には定年を迎えるような年齢になっているのですが、だからこそ、あらゆることから解放されていて、気がつくとなんだか広々と自由なのです。不思議な感覚です。じゃあいっそ社会人の始まりの頃に戻ってこれから十年間、経験もプライドも知識も全部忘れて夢中になって何かをやってみたいなあと思っていたのです。 頼まれてもいないのにムキになってやる、子どもみたいに。 そんな楽しい時間を重ねていきたいです。 そしてもちろん、ホンモノの23歳の家入さんに心からのエールを送りたいです!!! ▲
by hisakoinui
| 2019-04-15 00:17
| みてきた展覧会
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1月25日
いわき市アリオスで開かれたライフミュージアムネットワークのオープンディスカッションに行ってきました。 ライフミュージアムネットワークは、福島県立博物館に事務局を持つ実行委員会形式の団体です、前身は「はまなかあいづ文化連携プロジェクト」で、文化芸術による福島の復興支援を全国で展開されてきました。そこで見つかった新たな課題を、新しい名前で、社会に投げかけています。 私のくじドロが、はまなかあいづ時代に少し関わらせていただいたのですが、学ぶことが本当にたくさんありました。私の中で、アートと社会を結ぶ唯一のリアルな存在といってもいいほどです。 それなので、新しい形になってもずっと学ばせてもらいたいと思い続けていたのですが、なかなか都合がつかなくて出向けませんでした。 いわきはLMNのもう第四回なのでしたがやっと行けました。 折本さんのことは第一回横浜トリエンナーレで知りましたが、その時は内容自体にさほど実感はなく、むしろ、アートの広さ可能性を伝えることを作品にしているんだなとかコンセプトの戦略性などを思っていました。 それから何年も経ち、近江八幡市でまた折本さんの作品を拝見しました。 以前横トリで見たものと同じ写真もありましたが、もっともっと年老いた折本さんのお母様 男代(おだい)さんとの写真もあり、認知症であると記されていました。 横浜で見た時は、中年男性が母親と共に作ったアート、という印象でしたが、近江八幡では違いました。 リアルというかすごいというか、あの時だけじゃなくずっとずっと『暮らす』アートを続けていたんですね!と思いました。 横トリという現代アートのために設えられた白い空間ではなく近江八幡の古い民家の中でであったから余計に、かもしれませんが。 いわきで折本さんはお母様のことご自分のことたくさんお話され、それから持ちネタであるパン人間のパフォーマンスをされました。 生でこのパフォーマンスを間近に見れたというのはすごい、ということもありますが、痛風であり72歳となった折本さんのパフォーマンスはある種壮絶な感じでした。 たくさんの折本さんの言葉の中で私に一番届いたのは『天才には会いに行け!』というものでした。 母の介護のことに勇気をもらった、といった感想が一番上に来なくてよかった、私は折本さんのように介護をアートにしてみたいとは思わないし、もちろん彼だって目の前の現実からその展開に必然的にならざるを得なかったとお話していましたが、アートのやることがそれを超えたものであるからこそ救いが生まれるというところまで行き着けたから言えた言葉だろうとも思ったのです。 折本さんは、会場内の参加者のためパフォーマンスで使ったパンにサインしてくださいました。 カビないように一週間干しておきました。あとはニス塗りをすればいいそうです。大切にしたいと思います。 ▲
by hisakoinui
| 2019-02-04 10:49
| みてきた展覧会
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どうしても行きたかった鴻池朋子の大規模個展、ハンターギャザラーに行くことができました。
秋田県横手市にある県立近代美術館。秋田新幹線こまちで大曲まで。そこから奥羽本線で横手。 横手駅から美術館に行くバスは一時間に一本だったのでタクシーに乗りました。近代美術館はふるさと村という広い敷地の中に。 ![]() 311後の社会における表現者としての自己というものにこんなにも強く真摯に向き合っている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 掏り取ることよりも刻む行為にフォーカスするということ。 『女性的』という表現で説明すると異なる解釈が発生してしまうけれど、私たち女性の多くが男性より優位に持っているある種の感覚があると思う。 ![]() ![]() ![]() ![]() 撮影が許可されていなかったので画像を上げることができませんが、最後の部屋には土地の女性たちのものがたりを手芸で作るテーブルランナーの作品が一堂に並べられ圧巻でした。 個人の中だけにある私的な物語。何十年も前のお嫁入りの日のこととか家族とのこととか、無数の、名もなき人たちのお話。それを画家が聞きがきで下絵を作り、その絵を元に女性たちがパッチワークや刺繍などでテーブルランナーを作るのです。 一人一人の物語を読み、できた作品を見て、としていたら一時間はあっという間でした。 秋田で見たからこその鴻池朋子であったと思いました。 ▲
by hisakoinui
| 2018-11-30 21:00
| みてきた展覧会
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8月24日
初めて水戸芸術館へ行きました。 これまでなんども『行きたい!』と思うタイミングはあったのに、東京から先の常磐線が精神的に遠くてなかなか行けませんでした。 でも、内藤礼の過去最大規模の展覧会ということで、常磐線に乗りました。 自分の作品を画廊で発表しだした40歳の頃からずっと内藤礼が好きです。 1998年の静岡市のにっせんれん画廊での個展の時、高校時代の美術の先生が来てくださって、好きな作家は?と聞かれ、『内藤礼』と答えました。 その展覧会で私は100号120号というサイズのキャンバスへのペインティング作品をたくさん出していたので先生に即座に『全然違うじゃないか』と言われたことをよく覚えています。 違うのだろうか? その疑問がずっとありました。 数年前、鎌倉の美術館で内藤礼の展覧会を見ました。少し前にもギャラリー小柳で見ました。 その時も、違うのだろうか?と思いながらみて、違わないように感じました。それでも自信は持てませんでした。自分にないものへの憧れに過ぎないのではないかとも思ったからです。 だから、水戸に行って確かめたかったのです。 違わないことを。 同じであること、ではありません。似ている、でもありません。 違わない、流れている水が違わない、表現の仕方は違っても感覚のどこかが違わない、現在と未来についての思いかたが違わない、掬い取りかたや触りかたが違わない、眼差しの強度が違わない、 そういったことを確かめたかったのです。 そして、こう書いたらおこがましいのかもしれませんが、 違いませんでした。 だから内藤礼は私なんだではなくその反対で、私一人だけでなく何万人もの人の中にある違わなさを伝えているのだとわかりました。 針の穴に絹糸を通す細やかさで触れてくる強い核心、それが私は好きなんだと、確かめました。 あの頃のペインティングにも私はそれを持とうとしていたのだと思います。 ▲
by hisakoinui
| 2018-09-11 10:34
| みてきた展覧会
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名古屋市立美術館でモネそれからの100年展を見ました。
印象派の画家という知識を確認するような見方で見たように思います。 こんな風に風景を綺麗に描く人たちを印象派というんだよね、という風に。 その次にモネのオリジナルを見たのは、多分、23歳の春、バックパックでヨーロッパの美術館を回った時のはずですが、特にどの美術館でどのモネを見たか覚えていないところを見ると、パリのオランジェリーにはいかなかったのだろうと思います。 半分はクレー研究の旅でもあったし、その時の私は、クレー以外を見るならば印象派よりももっと古いものもしくは最も新しいもののどちらかをと思っていたのだと思います。 そのあと見たモネは修士の2年の時西洋美術館で開かれた大規模なモネ展です。1982年でしょうか。研究室のみんなと指導教官の水田徹先生とで上野に出かけました。 見終わったあと、東京文化会館2階の喫茶フロアで、皆でモネのことを話しました。 水田先生が、どの作品が良かったかと尋ねられ、各自感想を述べるというような展開だったように思います。 私は、睡蓮の連作の終わりの方の、モネが視力を失いつつあったころの大作をあげました。 その時の私は、作品それ自体ではなく、目が見えなくなっても自分のテーマを追求し続ける画家の姿の方に感動したのだと思います。画家の情熱とエネルギーを叩きつけるような大作でした。 指導学生の審美眼を問うた先生からすれば、その観点の誤りを正したかっただろうと今では思います。 それから20年くらいしてから、また本格的にモネを見る機会が何度かありました。大崎山美術館とか、直島とか、浜名湖花博とか。。 私は、モネが表現したかったことは、美しい風景を美しく描くことでも、自分の思いをキャンバスに投影することでもなく、『光』というものだったのだとわかって来ました。 オリジナルを見てすぐさまわかったというよりも、周辺のことも知りながらだんだんわかって来たと言ってもいいかもしれません。 例えば積みわらのシリーズを10作以上描き続けたのは積みわらを描きたかったからではないとわかりモネへの見方が変わったということがあります。 印象派という言葉が、モネへの真の理解を阻害します。 戸外に出た理由は、受注作品をアトリエで描いて納品するという従来のスタイルからの解放ではないかと思います。風景に興味があったのではないし、物自体とかものの実存に迫ろうというものでもないし、絵画の文法を覆そうとか再編しようとかいうものでもない。アトリエで得られない唯一のもの『光』を絵にすることこそが、絵画の革新だったということなのだと思います。 そんな風にモネを思うようになったので、私は楽しみにこの展覧会に出かけました。 作品は全て国内で所蔵されているもので、睡蓮も積みわらもありましたが、代表作ではありませんでした。 冷蔵庫の中の余り物で最高のご馳走を作りましたね!という感じです。 モネとの関連づけで現代作家の作品が多く並んでいたことも面白かったし新鮮でした。 丸山直文も松本陽子もモネと並んでいると違って見えました。 若い日にパスしてしまったオランジェリー美術館、行かなくてはと思います。 ▲
by hisakoinui
| 2018-07-01 23:16
| みてきた展覧会
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金沢21世紀美術館を2年ぶりで訪れました。
ジャネットカーディフとジョージビュレスミュラー展。 作家の名前をなかなか覚えない私ですが、ベルリンのバーンホフミュージアムで見た作品の印象強烈で、以来越後妻有や、天保山サントリーミュージアムなどで見て(体験して?)来ました。 アートとテクノロジーとものがたり、作られた空間での体験、今回もとても面白く見ました。 すごいなあ、私にもこんな作り込みができるだろうか、やってみたい!とも思いました。 同時開催中のコレクション展 死なない命 も面白かった。 今話題のバイオアート、そして、イブルやダミアンハースト、椿昇やchim pomの初期作品など豪華でした。 祝日であることも手伝って、たくさんの入場者でした。観光客がこんなに来る現代美術館ってほかにあるのかなと思いました。 そして21世紀美術館に近くにはたくさんに文化スポット。 鈴木大拙記念館では禅の世界に触れ、県立美術館では九谷焼きと加賀友禅、そして宮本三郎の晩年の作品にも出会えました。小松の人だったのですね。 加賀百万石前田家の文化が今も息づく金沢は古くて新しくてハイセンスでした。 前日の夜は、古い友人夫婦に会って美味しいお酒と金沢料理をご馳走になり楽しいひとときを過ごし、北陸の旅、楽しく始まりました。 ▲
by hisakoinui
| 2017-12-23 23:21
| みてきた展覧会
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ジャコメッティ展に行って来ました。豊田市美術館。
10年以上前に静岡県立美術館で見て以来です。 ジャコメッティは見つめ続け作り続けることであのフォルムに至り、だからこそあのフォルムには実存主義とつながる精神があった、というのがこれまでの私のジャコメッティへの理解でした。 若い頃の作品はそうではないし、生まれつきということでは無いと思うのですが、 二十代の途中からそうなったらしいことが展示テキストから推測できました。 臨床心理士である夫とともに見たのですが、彼はジャコメッティを離人症ともいうべきある種ボーダーラインケースの人であったと思うと言っていました。 ![]() そこにはひとの生の持つある種の普遍性があるように思います。 誰もが自分を重ね得る実存的な何かがあると感じたのは「ベネチアの女」の群像でした。 ひとつずつの彫刻を複数体作って群像を仕上げたのではなく、ひとつ作って型取りし、その続きを作ってふたつめの型取りをし、みっつめ以降もずっとそれを続けるという行為のレイヤーで生まれた群像に私はとても共感しました。 ひとの行為は続いている。 ジャコメッティの見る行為も作る行為も続いている。 私がドローイングを続けているように。 そんなことを感じました。 生前に高い評価を得られたことはジャコメッティのしあわせであったと思いますが評価と理解は一致していなかったのかなという印象を持ちました。 これまでと違うジャコメッティ像が私の中にできたことは良いことでした。企画者の力を感じた展覧会でした。 ジャコメッティの65歳の生涯は、一般的には短いと言えるものかもしれませんが、芸術への求道としては十分であったのではないかと思いました。 ▲
by hisakoinui
| 2017-12-17 19:44
| みてきた展覧会
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