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乾久子 個展 ことばのまわり〜ここでまた〜 アートカゲヤマ 3月6日〜19日 2023年 無事に終了しました。
みなさまありがとうございました。 画像とともに展覧会を振り返ります。 ギャラリーの入り口です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私の作品には寄りで見て欲しいと思うものと、ものすごく大きな空間で見て欲しいもののふた通りがあります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「物語と時間」シリーズの再展示です。 ![]() ![]() ![]() #
by hisakoinui
| 2023-04-14 15:18
| 展覧会報告
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![]() 秋野不矩美術館の二階ギャラリーで毎年行われているグループ展に今年も参加させていただいた。 お声がけいただいた根拠はよくわからないけれど、秋野不矩美術館が好きなので、ありがたく参加させていただいている。 出品作品の画像をアップロードしてはならないきまりがあるのでここに挙げられないけれど皆さん達筆だなあと思う。 それに比べて私のはなんだろうと思う。全体の展示を見ると空気が読めていない感がすごいと自分でわかる。 でもこれでいいのだと思って出している。これもまたローカルというフェーズなのだ。 とはいえ見に来てくださった方々の鑑賞の様子を見ていると私の作品の前で立ち止まってくれている人がいる。少なからずいる。とても嬉しいことだ。 秋野不矩美術館は有名な建築家の設計である。 秋野不矩が存命のうちに彼女の作品のために建てられた旧天竜市の美術館。 壬生ホールもそうだが天竜市はなかなかのことをやる。浜松市になってしまって残念だったね天竜市。 常設展を見る。 93歳まで生きた秋野不矩の91歳の時の超大作がメインの壁を飾っている。 70代から90代までの大作がほとんどである常設展示だった。 50代半ばに行ったインドにはまった秋野不矩。日本画と言いながら、全てインドやチベットの風景だ。しかも日本画らしくない。 全土といってもいいほどのインドの旅そしてチベットの旅。80歳を過ぎてなおインドに一人で行ってずっと絵を描いていた女性。すごいというほかはない。 4人の子を育て美術大学で定年まで教え離婚もしておそるべしである。 年齢を重ねるだに秋野不矩のすごさを思う。 秋野不矩の作品のある空間の片隅に、自分の作品が飾られた、それだけでこのグループ展参加の意味はあったように思う。 #
by hisakoinui
| 2023-04-03 14:47
| 展覧会報告
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第50回現代アーティストセンター展ビジュツ行動せよ!
2023年2月28日から3月2日 東京都美術館 地下3階 二階公募企画室 無事に終了しました。 会場の風景です。 6メートルの高さからの長尺のドローイングです。 展示作品はグランシップでも出したものなのですが、見せる長さが今回の方が長く、そもそも会場自体の空間が異なるので、別の見え方見せ方ができたように思います。 前の記事にも書いたたことですが、このグループ展は、70年代から90年代までの銀座京橋のオルタナティブなアートシーンで発表をしてきた方々が中心となって継続されてきたもので、ある種のドキュメンタリーのような感じがありました。 あの時代に熱い思いでアートに打ち込んできた人たちが今も健在なのだと思わされたとも言えます。 古い新しいの尺度で言えば、新しくはないと言ってもいいかもしれませんが、個々の人たちの活動の時間やエネルギーを思うと、すごいというほかはありません。 意味があるかどうかという観点で言うと、何にとっての意味かで違ってきます。 個々の人の作品にはそれぞれ深い意味があり、その点で私とは違いました。 以下は意味がないことについての私のテキストです 記録集に載せていただきます 作品の前で、ドローイングって何ですか?何を描いているのですか?と問われた時、相手を納得させる言葉を返すことがいつもできない。 作家ならそのための言葉を用意しておこうよとその度に思いつつ、言葉では言えませんというのも一方の事実である。 終わりを決めずに描き始め、描いてみてここだと感じた地点で終わるだけの作品、それが私の作品だ。 つまり、私のドローイング作品には主体的な意味がないのである。 からだよりずっと大きな作品も、小さく細かい作品も、この瞬間を掬ったと感じる作品も、だらだら描いているうちにできてしまった作品も、意味もなく生まれてしまう、生み出してしまう、のである。そしてその時自分の内側でも外側でもないものを表した感覚がある。 作品にはタイトルをつけているが、タイトルの意味するものを描こうと始めることはなく、無題というのでは取り付く島もないから後からつけている。矛盾するようだが、熟慮してつけている。タイトルには意味がある。 言葉にならない言葉を、詩人達が詩の言葉にしているように、乾さんの作品はことばのまわりにあることばにならないことばを線描しているんですねと言われたことがある。生きている限り描き続けているのがあなたの芸術ですと言ってくださった人もいる。 他者の言葉にいつも救われながら、しかし意味は見る人が感じてくれるものだと厚かましく思っていてもいいだろうか。 今回のように広さと高さの十分な空間で、意味のなさをこのように無邪気に開いてみれば、それがはっきりとゆるされたことのように感じられた展示であった。 #
by hisakoinui
| 2023-03-25 17:14
| 展覧会報告
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グループ展 百鬼夜行展 無事に終了いたしました。 2023年 2月15日(水)から26日(日) RYU GALLERY 富士宮市
現代の鬼を造形するというテーマのグループ展です。 私はコロナ禍の始まった2020年の新聞とその日に咲いていた花の写真を合成して作ったNewspaperFlowersのシリーズの一部を展示しました ステイトメント です Newspaper Flowers ~2020~ 現代の鬼 新型コロナウィルスのパンデミックに襲われてはや3年が経ちます。 この疫病はまさしく現代の鬼であり百鬼夜行の魑魅魍魎の最たるものであることはもはや疑いの余地もありません。 そしてこの現代の鬼はあの手この手と変異して今も私たちの世界をすみずみまで脅かし続けています。 でも私たちは鬼に翻弄されながらも一人一人日々の日常を大切に紡いでいます。 感染を恐れおののいていたあの日々にも花は咲いていました。 Newspaper Flowersは、花を日常のメタファーと捉え、日々に踊る新聞記事との合成で社会と日常を一つにする作品です。その日の新聞記事とその日に撮影した日常の風景の中の花を写真ソフトでコラージュ合成して作っています。今回は2020年2月から9月までの記事作品から選びました。 会場風景の一部です ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() RYUギャラリーは、おもに静岡県東部の作家たちの集う新しいアートのスペースというのが私の認識です。 オルタナティブではなく企画のみのギャラリーです。 時々、面白いグループ展も企画され、昨年は変態女子展というのに参加させていただきました。 私は、県西部に住んでいるので、富士宮まではちょっと距離がありますが、富士山の近くに行けると思うとわくわくします。 出品作について、ですが、コロナが始まってしばらくしてから、このNewspaper Flowersを制作し始めました。 いつまでか、を決めていませんでしたが、ワクチンができるまで、ということをふわって考えていました。 ワクチンさえできれば、人類はコロナを征服できると、当時の私は思っていたのだと思います。 でもそうではなかった。 でも、2020年の花と新聞を、2023年の今、振り返ることを、このグループ展の機会を借りて行えたことは良かったと思っています。時を経て、これからも作品の意味は変わっていくのかもしれません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() #
by hisakoinui
| 2023-03-21 22:12
| 展覧会報告
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『ひつじ日和』から『ちまた公民館』は徒歩で3分ほどの距離ですが、その途中で久保田たけし君がレッツのスタッフ水越さんと『散歩』中でした。
たけし君と外で偶然会うのは初めてかもしれません。今日も彼は小石を箱に入れて音を鳴らしていましたが、物静かで、憂いのあるような表情に、私の知らないたけし君を見たように感じました。 このたけし君の存在が、お母さんである翠さんを闘いへと奮い立たせ、今では浜松の文化の一端を変えたぐらいのことまで言えそうだけれど、こうして予期せぬタイミングで素でたけし君に会うと、もっとシンプルな気持ちになります。青年になったなあとか、案外小柄だなあとか、あら横顔が知的だまつ毛が長いなとか、そんなことを思い、障がい者こそが社会を変革するのだというレッツのテーゼはしばし忘れ、友達の息子にばったり会っただけな感じがとてもよかった。今日はアメ活はしてないという水越さんと、ちょっと世間話して、じゃあねと私は『ちまた公民館』に向かいました。 『ちまた公民館』は、鳴り物入りのオープンであったらしいけれど初めて訪れました。ここはレッツの運営する施設。誰でもふらっと寄っていいらしい。 入ると、詩人のムラキングと常連の村木さんがいらっしゃいました。 ムラキングは詩作なのか何か言葉を書いており、村木さんはスマホを見ていましたが、こんにちはと挨拶するとたくさんお話ししてくれました。 国会中継を見たか?あれは全部役者がやっているのだ。全員お面をかぶっているのだ。世界は現在革命中である。トランプが何を画策しているか知っているか?天皇家は全員無き者とされていて、あれらも全員役者なんだ、という内容のお話でした。 今日はカーラジオで国会中継を聞いてきたので、確かに辻元清美は弁が立つし声もいい、役者みたいと思いはしましたが、村木さんのストーリーはすごかったです。 ムラキングも村木さんもともに統合失調症の障害があります。そういう人たちが、『ちまた』に普通にいられるのはいいことだなあと思います。 DMは無理やり置いてきました。 ムラキングは『物語と時間』を読んでくれ、乾さんはいい人です、と言ってくれましたが、いや、それ違いますと答えてきました。 #
by hisakoinui
| 2023-03-04 22:33
| 展覧会準備
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