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アレルギー性皮膚炎でちょっと苦しいこの頃なのだが、皮膚炎といえばと、子どもの頃のことを思い出した。 もともと皮膚は弱い方で、子どもの頃も皮膚炎で医者通いをした。 今思えばあれもアレルギーだったのか、それはわからないが小学校2、3年の頃、酷い皮膚炎となり家にある塗り薬や軟膏では全く改善しなくなり、母に連れられてバスに乗って藤枝の白子の方にあった小笠原皮膚科というところに通った。 バスに乗ってまで通院したのは、そこが名医の評判だったからなのか、遅い時間まで診察していたからなのかはわからないが、実家は商売をやっていたので店を閉めてからの時間に母とふたりでバスに乗った。旧東海道ばたにある私の実家は、当時家の前がバス停でその便利もあったのだろう。 次女であり弟もいたので母と二人きりになることがあまりなかった子どもの私には嬉しい通院だったが、皮膚炎は重症だった。左側二の腕の内側、肘から脇の下まで皮膚がケロイドのようになっていた、ように子どもの私には見えていた。よくわからないが子どもの私にはその部位がぐちゃぐちゃに見えた。 痛みはなかったと思うが、白く重たい軟膏をべったりと塗られガーゼと包帯で片腕がぐるぐるになっていた。 毎晩、母と夜の皮膚科に通ってガーゼと軟膏を取り替えてもらっていた、というわけだ。 白子のバス停前に近江屋という大きな薬局があって、そこには、薬の他に日用品やおもちゃなども売っていたのだが、当時ブームの始まった着せ替え人形のタミーちゃんがなぜかそこにあった。タミーちゃんはアメリカ製の着せ替え人形で結構高価で簡単にねだっていい代物とは思えなかったが、バスを待つ時間の何度目かに、私は母にタミーちゃんが欲しいと言ってみた。貧しい思いをしたことはない程度に実家の経済は普通だったと思うが子どもに無駄な贅沢をさせないのも普通だったと思う。 だが母は、黙ってタミーちゃんを買ってくれた。私は天にも昇る気持ちだった。小学校のクラスでタミーちゃんを持ってる女子なんて誰もいない。その頃は国産でスカーレットちゃんが出たばかりだったがスカーレットちゃん持ちの子も少なかった。あのリカちゃんブームが訪れるのはその少し後である。 母がなぜすんなりタミーちゃんを買ってくれたのかその訳はわからない。 その日のタミーちゃんはすでに可愛いワンピースを着ていたのに、母はタミーちゃん本体の隣りにあった着せ替え用の真っ赤なパーティードレスも買ってくれた。胸元が大きく開いた派手なノースリーブでラメ入りだった。着せ替え小物の真っ白なマフとレースの手袋も買ってくれた。 母にはそれほど私の皮膚炎が不憫だったのだろうか。親になってから母の気持ちを想像したものだ。 今では皮膚炎自体よりもあの白子のバス停と近江屋とタミーちゃんのことが皮膚炎とセットで思い出される。 ちなみにタミーちゃんはそれから長い間私の宝物となり、たくさんの着せ替え服を手作りした。マフラーを作ってあげたくて編み物を習ったし、バックを作ったり、布団一組を仕立てたりもした。ブロンドのアメリカ人に布団とはと思うが、寝具のモデルとしてうちにあったのはベットではなく布団だった。ひとり遊びに熱中する私に母は洋裁の基本である型紙の作り方を教えてくれ、直線断ちでは生み出せない洋服のラインを知った。 今ならインキャの一言で片付けられてしまうのかもしれないが、そのひとり遊びは本当に楽しく私だけの幸福な自閉時間だったと今では思う。外に遊びに行けとか友だちを作れとか言われなくてよかったと思う。その後自然に友だちはできたし外にも出かけて行くようになり、今でも親しくしているカズコちゃんとも着せ替え人形遊びをした。カズコちゃんのお人形の名前はもう思い出せないが着せ替え人形ブームで生まれたスカーレットちゃんの後発の国産だった。それで私はこころの中で自分のタミーちゃんがちょっと自慢だった。地方都市に住む小学生の女の子の心にまで、アメリカ文化への手放しの礼賛や憧れが行き渡っていたのかと思う。1960年代後半の日本のサブカルチャーの姿の一端だ。 タミーちゃんは、大きくなってもう人形遊びをしなくなっても長く押し入れの中にいた。子どもの私が作ったさまざまな着せ替え服や寝具などと共に箱に入っていた。結婚した時もまだあったのに連れてくることはなく実家の建て替えで見失った。多分処分されたのだろう。 皮膚炎の跡は、大人になってもしばらく消えず40歳を過ぎた頃にうっすらとなり今では全くわからない。 今度母に会ったら小笠原皮膚科のこととタミーちゃんのことを聞いてみようと思う。認知症となっているからきっとわからないだろうが、案外昔のことは覚えているかもしれない。そうであったら嬉しい。 皮膚炎で思いがけず蘇ったタミーちゃんだが、インターネットで調べてみたら、1967年のメイドインUSAのタミーちゃんはメルカリで売られていた。こんなに綺麗なまま保管していた人がいたのかと驚く。 #
by hisakoinui
| 2024-10-15 23:36
| 文化一般
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浜松城公園野外芸術祭の中で、くじびきドローイングワークショップ をいたします。
10月19日(土)11時~ 15時 浜松城公園 スターバックス前 雨天20日 早いもので今年でもう3回目です。 これは2022年の時の画像です。 コロナ禍でワークショップが出来なくなってしまった2020年2021年でしたが、静岡市のアート&スポーツ広場で、初めて青空の下でくじドロをやり、それが本当に良いワークショップで、以来、2L版サイズの紙にお絵描きするくじドロでも、こんな風に広々とやるようになりました。 青空下でのお絵描き、楽しいと思います。どうぞお運びください 芸術祭会期は 2024年10月12日(土)~20日(日)です。 作品展示とダンスパフォーマンスとライブ演奏があります。 2022年には、私は作品展示でも参加しました。 オーガンジーへの刺繍ドローイングの大作を大きな枝にかけるというものでした。 風に揺れる刺繍ドローイングは展示として成功したかなと思っています。 その後、昨年も今年もお誘いいただいたのですが、野外展示に挑戦する情熱とエネルギーが今の自分には十分では無いように思えて 見送らせていただきました。 風とドローイング という切り口で、続けてやってみたらよかったかなと今はちょっと思っています。 この芸術祭の中心になって企画しているのは美術家の中村昌司さんです。 この国では、政治と美術については多くの作家が発言を控えがちなわけですが、 中村さんは、1980年代からゴミ問題やアパルトヘイト、沖縄の基地、原発のことなどに正面から向き合い、行動し、制作して来られたアーティストです。私にはとても出来ないことばかりをやっていらっしゃいます。 芸術祭の方にもぜひお運びください。 #
by hisakoinui
| 2024-10-11 21:00
| くじびきドローイング
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告知ばかりが続いてしまいますが、今年も遠州横須賀街道ちっちゃな文化展に参加します。
令和6年10月25日(金)~27日(日) 25日(金) 午後1時~午後5時 26日(土) 午前9時~午後9時 27日(日) 午前9時~午後5時 会場は昨年と同じ38番清水実邸の二階和室です。 階段の登り口がちょっとわかりづらいのと、階段自体が急ですが、靴を脱いでのんびりできる会場です。 古い街並みと併せてゆっくりご鑑賞頂けたらと思います。 今はまだ展示の準備段階で色々考え中です ギャラリーでの個展ではない、展示は三日間、見にきてくれる人は古い街並みの文化展を楽しもうという人たちというのはある意味特別なことなので、新旧入りまじりの作品を斬新な見せ方で挑戦してみようと思っています。 プロに見られても恥ずかしくなく、街道散歩の人たちにも楽しんでもらえる展示、案外難しいと思います。 18歳の時に描いたセザンヌの模写とそれについてのテキスト、2020年コロナ禍のnewspaper flowersの写真集、刺繍ドローイングの旧作新作、などで広い和室を構成する予定ですが模索中です 金曜日と日曜日は終日、土曜日は午前中は会場にいる予定です。 現地マップイベント情報などはこちらのサイトを参照下さい。 https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/docs/7467.html #
by hisakoinui
| 2024-10-07 23:54
| 展覧会のお知らせ
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ジネンコロキウムという自然科学の方とのクロスカルチャーの対談企画に登壇いたします。
ランダムという言葉をキイワードに、数学者の今野紀雄さんのお話を聞き、自分のドローイングについて話します。 ランダムは自然科学における規則の一つなのか。 私のドローイングにはテーマも物語もないけれど、無意識の表出だけでもない何かはあるように思ってきました。それをランダムといっていいのなら、それがどんなふうに広がって新しい次元を生みだし得るのか。 結論めいたことは得られないかもしれませんが、今野先生とお話しする中で、何かがこじ開けられたらと思っています。 何より、今野先生のお話を聞くことがとても楽しみです。 今はまだプレゼン用のパワポデータを作っています。 これまでに私のドローイングのためにテキストを寄せてくださった方々の文章を再読し、私の中のランダム、私の線と時間、私の気象、私の物語性のないドローイングといったものをこんな素晴らしい言葉で伝えてくださっている!と改めて思いました。 他者の言葉は大切です。 2024年 9月29日 14時から 横浜・関内 YOXO BOX #
by hisakoinui
| 2024-09-21 22:55
| 展覧会のお知らせ
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八月✖️日。豊橋にあるボーリング場に出かけた。 小林あつこさんから展覧会の案内状をいただいて カードの住所をナビに入れて着いたところがボーリング場である。 入場してすぐのところにちょっとした健康コーナーがある。血圧計や体組成計がありちょっとしたストレッチならできそうなマット敷きのスペース。ここは高齢者の健康ランドでもあるのか。 でもれっきとしたボーリング場であり遊興施設である。ピンの倒れる快音が聞こえる。 あつこさんの作品は健康ランドエリアとボーリングレーンの間を仕切るような壁に展示されていた。 手書きのキャプションとプライス、いただいたカードと同じデザインのポスター、そして新作と思われる作品たち。 作品は、とても良かった。 小林さんのこれまでのモチーフは、風景、静物、人物、といったカテゴリー。半具象の油彩で春陽会という公募団体に属している。 だから、私とは方向性が違うし、以前の私であればまみえることはない人だったと思う。 だが、今私は小林さんの絵を描くのが好きというシンプルさで自分の表現に真摯に向き合い、研鑽を積み、発表を続ける姿に打たれる。何より作品自体が面白い。今回はさらに、地方都市の国道沿いのボーリング場のこのスペースで新作を発表するという強さに驚いた。私にできるだろうか。フラットな人だ。 公募団体というだけでどこが残念な気持ちで見てしまう私はかつていた。今もかすかにいるだろう。 だが美術は、歴史を上書きすべく新しい表現に挑戦することだけが価値あるものなのか? 小林さんの新作は彼女の歴史を上書きする崇高なものだ。ボーリング場の通路の壁に展示されてはいても。 この春、上野の国立西洋美術館で開かれた話題の展覧会の会場で、偶然小林さんに会った。 この展覧会は、日本の現代美術と美術館の関係を問うもの。美術の最新に敏感な人たちが行くのが相場と思っていたので、少し驚いた。 聞けば小林さんは豊橋から月に2回上京し、裸婦デッサンの教室に通っているという。 中学校の美術教師を定年前に早期退職し、以後は絵を描くことに専念しているのは知っていた。 帰りの新幹線を合わせて帰途に着いたので車中小林さんの知らなかったあれこれを聞く。 高卒で銀行に就職したが飽きたらず通信教育で短大卒単位と教員資格をとり中学校教員の採用試験に合格し美術教師となった。教師の仕事は本当に忙しく絵を描く時間がなかったし、何より美術の専門教育を受けていないから今学んでいる。 それが裸婦デッサンの根拠だった。 豊橋で拝見した作品は人物が多かったが、正当的な具象ではなく大きくデフォルメされている。月に2回の裸婦デッサンが大胆なデフォルメを支えているのだろう。精神的にも技術的にも。 小林さんは1955年生まれ、今年69歳。 高齢になっても生きがいを持って生きる輝くひと、みたいなありがちなストーリーと似て非なる物語が小林さんにはある。両者のストーリーの間にあるものはなんだろう。 それは何より小林さんの作品が物語っているように私は思った。 すぐにアトリエに戻って自分の絵を描きたいと強く思った。 #
by hisakoinui
| 2024-08-27 21:27
| みてきた展覧会
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