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長島有里枝の本を読みました。
「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ 長島有里枝 2020 大福書林 本人の修士論文を手直しして編んだ長めの論考でした。 90年代から台頭して来た若い女性写真家への「女の子写真」という呼称は、いつ誰がどんな場所で使い始めたのかから始まって、その言説が繰り返し再生産される写真界の流れと現実などが丁寧な註とともに編まれています。 長島有里枝といえば著名な女性写真家であるのに私は彼女の鮮烈なデビューやその後の活躍をあまり知らないで来ました。 初めて写真展で作品を見たのは数年前いわさきちひろ美術館でのことで、それはお母さんになった写真家長島有里枝作品だったと記憶しています。 いわさきちひろの母性についてわたしは関心を持って来たので長島有里枝の展示内のテキストなどに共感したのだったと思います。私は、いわさきちひろの広く知られているあの淡い水彩画がステレオタイプの母性イメージのアイコンとなっていることと、現実の彼女の母としての人生との乖離に関心があったのですが、長島有里枝もここでいわさきちひろとコラボレーションしようというからにはそんな感覚が彼女にもあるのかなと思った、ように思います。 長島有里枝への私の入り方はそんな感じだったので、90年代のセルフポートレートヌードやその後の木村伊兵衛賞をめぐるさまざまな言説について、ほとんど先入観無しに読めたのは幸いでした。 1988年に第一子、90年に第二子、94年に第三子を出産した私は、80年代後半から90年代後半にかけてのおよそ10年間はおむつおっぱいサービスと保育園の送り迎えと教える仕事とで手一杯で、木村伊兵衛賞に若い女性3人が選ばれたことを、ああそういえばくらいの記憶しかありません。 長島さんがヌードのセルフポートレートでパルコ賞をとった93年ごろ、私はどこまで自分の性について自覚的だったかというと、私はただ普通に産む性の人間のひとりとして子を産み育てていただけです。遅く帰宅する夫には子どもたちの入浴の手伝いをしてもらえないので、子どもたちと一緒に入浴しても、湯上がりの赤ちゃんを受け取ってくれる人がいなくて、全裸で家の中を走り回っていました。自分のことより先に赤ん坊や幼い子らの世話をしなければ湯冷めさせてしまうからです。 そうか私もあの頃は文字通り素裸で毎日を戦っていたけれど、表現の世界でこんなふうに裸になっていた人がいたのかと思いました。 見る性見られる性、撮る人と撮られる人という二項対立への問いが、21歳の長島さんには既にあったのか、それは尋ねたいところです。 それとも、結果として「女の子写真」という言葉で矮小化され周縁に追いやられ見下されていく言説が次々と再生産される中で、自分たちの表現についてさまざまなことを考えるようになったのでしょうか? わたしはそのどちらでもいいと思って読みました。 最終章でまとめているように、個人的なことは政治的なことなのだというフェミニズムの基本がガーリーフォトにはあり、そこには希望があるわけですから。 あまり知らずに来た女性写真家をめぐるさまざまなことが学習できました。名指しされ何度も登場する著名な男性写真評論家、写真家たちの、知らなかった横顔を知ることができました。きっとわたしたちはもっと怒ってもいいのでしょうが、彼らの持つことのできない世界をわたしたちは持っていることを大切にしたいとも思います。そしてなにより、そんな二項対立から解き放たれたあり方でいたいものです。 頑張っている女たちにはいつもエンパワメントされますが、同時に自分自身の勉強不足を突きつけられもします。 読んでよかった本でした。 #
by hisakoinui
| 2024-01-26 10:49
| 読書
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2009年に67才で亡くなった長船恒利さんの写真展に行って来ました。年の瀬に白井先生からご連絡いただき、先生もトークをされるということで日帰りで出かけました。 Kansan ギャラリー 千代田区東神田 長船恒利さんは、静岡を中心に活動された写真家です。ご本人は写真家と自称することはなかったと聞いていますが膨大なネガが残されており、その全てが日付とカテゴリーで整理されています。私も彼の没後にそれらを拝見したことがありますが、本当に膨大でした。一度、美術手帖に作品が取り上げられたことがあるそうですが、写真集は薄い一冊だけ、この展覧会のタイトルと同じ『在るもの』です。 Kanzan ギャラリーのキュレーターの方が、長船さんの作品を見出して展覧会を企画したのは、若手作家を応援するのがコンセプトの画廊だが、若い作家に学んでほしい気持ちがあるからだそうです。長船さんの写真は本当に素晴らしいからと。 それほどまで、長船さんの作品を高く評価する人が、静岡以外にいることが私には驚きでしたし、そもそも東京にいて、長船さんを見出すことは、たやすいことではないとも思いました。 初めて写真集『在るもの』を拝見した時、私は、正直言って、その良さがわかりませんでした。ただ、静岡にいる私の周囲のアートの皆さんが絶賛するので、そうか、こういう写真が素晴らしい写真なのかと学びのベクトルで拝見したものです。 写真展『在るもの』は、写真集のページ順とほぼ同じ並びで作品展示されていました。 ホワイトキューブに淡々と、しかし精緻に、なにか慎ましさのようなものを携えて、そこにありました。 在る、とはこういうことか、といった風情です。 藤枝の旧市役所、野球場の裏手、成田山の入り口、清水の狐ヶ崎etc、なんでもない風景が、なんでもないように切り取られているのですが、私は初めて、人が言うからではなく、自分の目で長船さんの写真をいいと思いました。藤枝や静岡で見ていた時にはわからなかったのに、今日は、なぜかわかるように感じました。 真ん中に電柱を配する構図とか、広がる電線、重なる樹木、どうしても名前や言葉を読んでしまう看板のいくつも、などなど、何気ない風景の中にそうしたものがいつもあり、求心性がない風景。台形や三角形のような図形を含むモチーフが風景の中に入って不思議なリズムを作っていたりする。 ここに立って4✖️5の大きなカメラを据えて撮ったという立ち位置は、実はかなりしつかりと考えて決めたものであろうはずなのに、それを感じさせないなにげなさには、とても知的なものが感じられます。 いちばん感じたのは、一枚の写真の中に、たくさんのレイヤーがあるということでした。写真の中に映り込むたくさんの風景と意味、それはこの被写体に迫るのだという意思とか絵画的に撮ろうというセンスとか、起こっていることを伝えるジャーナリズムとか、そういうものでは決してないもので成り立っておりそれらが何層にもレイヤーされているように私には見えました。 多面的多層的に見ることができる作品をいい作品というのなら、これはやはりいいと思うし、何より今日は、自分の素直な感覚としていいと思えたのでした。 それは私の見る目とこころの進歩と拡張によるものなのか、 風景を撮ることについてキュレーターのトークを聞いて広がった理解のなせるものか、わかりませんが、自分でわかったと思えたことがなによりでした。 私は長船さんに記録集を作ることの大切さを教えていただいたし、ドローイングについても、いろいろな示唆をいただいてきました。それは言ってみれば先生と生徒のような関係であったかも知れません。後ろを歩く表現者として常に長船さんに学んできたのかも知れないのですが、今日は初めて、長船さんの芸術の世界に対等に向き合えたように思えました。 それは本当によかったことです。 会期は1月28日までです。 #
by hisakoinui
| 2024-01-21 16:06
| みてきた展覧会
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もう何度も読んだ本ですが、また、読みました。
バンビ(再) フェリックス ザルテン 高橋健二訳 岩波少年文庫 1990 児童文学を読みたくなるのは、絵を描いたりものを作ったりする気持ちが広がっている時のようです。 ドローイングや刺繍、ドライポイントなどを再開しているこの頃です。 ファンタジーの世界、洗練された美しいリアリズムの世界を旅してみたくなるのだと思います。 バンビは、ハンガリーの作家ザルテンの名作で、自然界の摂理、森の美しさ、生と死のリアリズム、ひとりで生きることの尊さなどを伝えてくれる私のとても好きな作品です。 ディズニーがあのビジュアルを作って商業的なアイコンにしてしまったことは本当に罪深く、オリジナルのバンビをたくさんの人に知ってほしいと以前は思っていました。 でも今はそれはもう良くて、私のバンビが私の中にいればいいなとこの頃は思います。 ジェンダー論的な観点からすれば、バンビは牡鹿であり、その子供時代から壮年までの生きる姿を描く中で、妻の牝鹿への対し方に、ザ男の生き方、的な表現がわずかにあるのですが、書かれた時代背景もあるのかもしれません。複雑な社会の仕組みの中で生きる現代の人間の男女とは違う、自然の中で生き抜く生物としてのオスのあり方なのかとも思いながら、今回はその部分を読みました。 それにしても、バンビの生きた森はどこの森なのか。 ハンガリーの森なのか。 美しい森の風景の中にまだ私は佇んでいます。
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by hisakoinui
| 2024-01-21 09:42
| 読書
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神戸の震災から29年が経ったということです。
もうそんなにと思います。 震災のあった日のことをこのブログに書いたことはあっただろうか。よく覚えていませんが、あの大きな出来事のあったその時自分はどこで何をしていたか、書いておきたい気持ちに今年はなりました。 29年前の今日、地震のニュースに触れたのは、県西部浜松医療センター小児科病棟の待合のスペースででした。そこにテレビがあって速報が流れたのだったと思います。 生後3週間にも満たない三男が発熱し肺炎という診断で入院したその翌日の朝のニュースだったと思います。 新生児は風邪なんて引かないと思っていたのに発熱しかかりつけの小児科医からの紹介であっという間に総合病院入院となり、クベースと呼ばれる病気の赤ちゃんを入れる透明の箱の中に私の三男は行ってしまいました。おっぱいをあげることも抱っこすることもできず、近くで付き添うことも許されず、ただ待合の硬いソファに座っていました。朝まで寝ないでそのソファにいました。 その時に、地震のニュースが流れて来たのでした。 命というものに、とてつもなく敏感になっていました。 ついこの前出産を終えたばかりです。命の大切さを実感するのに出産以上の経験はないという思いを噛み締めたばかりなのに今は、もしもこの子が助からなかったらという不安でいっぱいなのです。生と死の境目に今私の赤ちゃんはいるのだと、今思えば過剰な心配だったのかもしれないのですが、とてつもなく心配でした、不安でした。 三男は無事に回復したけれど、家の下敷きで亡くなった、火災て逃げることができなかったというたくさんの死のニュースを聞き続けたあの日々でした。溢れる母乳を搾乳し冷凍して病院に届けた私のあの祈りの日々は、震災で家族を亡くした人たちの辛く苦しい日々でもあったわけですが、遺族の方々においてはそれは今も続いているのだと思います。 地震にあったわけではないのに、毎年この日が来ると、三男が今日も健康で生きていることに感謝しないではいられません。 #
by hisakoinui
| 2024-01-17 23:28
| こども
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ゴッホはしばしば『炎の人』と呼ばれているようですが、それは、晩年の作品の激しいタッチや、耳切り事件を起こしたり、最後にはピストル自殺を図ったことなどから、短くも激しく生きた人として、そんなふうに呼ばれているのかなと、勝手に思って来ました。
でも一方でそれは本当にそうなのか、もっとストイックな求道的な人だったのではないのか、という、長く抱いて来た疑問があります。 小川国夫の本を読んで、それが少し解けたように感じています。 画家になる前のゴッホのことは私の知らないことばかりでした。 牧師の次男として生まれたゴッホはまず父の後を継ぎました。だがさまざまことで牧師を辞め、次は画商になろうとするけれど、それも諦めます。純粋で追求しすぎる性格故なのでしょう。 そして絵の道に進む。 初期作品で有名なのは『馬鈴薯を食べる人々』ですが、私はこの作品しか初期作品を知りませんでした。 こんな暗いトーンのねっとりしたタッチの絵からどうしてあんなに明るい作品にジャンプ出来たのか、知らないで来ました。 でもジャンプではなく必然の流れであり、そこには、牧師や画商としては問題児であるのに絵筆やコンテや鉛筆を持てば たゆまず研鑽を積むゴッホがいました。 ミレーやドービニーから学び続けるゴッホのことを小川国夫のペンが静かに描いていました 文中の口絵にもミレーの模写のようなコンテデッサンが紹介されています。 アルルに行ってもゴッホの生涯はひと連なりであり、ただ純粋に描いているのです。 ゴッホは人や風景を象徴として捉えていたのではないかと小川国夫は綴っています。 激しい内面があってそれを吐露したのではない、目の前のものをキャンバスに定着させるリアリズムでもない、象徴として対象を見、象徴として絵にしているというのです。 なるほどと思いました。 だからこそ、象徴としてモチーフを選ぼうとするゴーギャンと芸術家の理想郷を作ろうと思ったのでしょうか。 耳切事件について、小川国夫は、本当にゴッホが自分で自分の耳を切ったのかは判然としないと綴っていました。 私はずっと、自分で切ったと知って来たのですが、最近の高校生の作家研究の中でも、切ったのは自分ではないかも知れないという論考があると発表した生徒がいました。 ゴーギャンが切ったとしたら、その時のゴッホの中にあったものは何か、それは、それ故に精神病院に送り込まれるような激しくも狂った心の激情などとは真逆の静かな感情だったのではないか、といったことを小川国夫の文章から感じました。事実を調べて書いた文章ではないので、感じることしかできなかったわけですが。 読みながら、メモアプリに残した文があるので貼っておきます。 なぜあんなにもたくさんの手紙を弟テオに送り続けたのか、ゴッホにとって言葉とは何だったのか書いているところが特に残っています。 以下引用 彼が絵という労働に対して決して意気消沈せず、いつも尊敬を込めてそれを考えているのは私の胸を打つ。彼は敬虔な使徒であった。こうした生き甲斐の中に愛する弟を招き入れ、二人して開拓者になろうと、どれほど強く希望したことか。 彼は崖があることを知っていたが、墜ちるのをさけるにはどうしていいかわからなかった。それはゴッホの病気というよりも、ゴッホを通して極限化されていた人間の実相というべきであろう。 人間を孤独から救うために大きな働きをしているのは言葉なのだろう。言葉はそのための切り札なのに違いない。 #
by hisakoinui
| 2024-01-17 13:49
| 読書
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