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![]() 教科書 p.8 ファン・ゴッホの椅子 油彩・キャンバス/91.8×73cm 1888年 ロンドン ナショナルギャラリー蔵 フィンセント・ファン・ゴッホ 1853~90 ゴッホは『炎の人』と呼ばれる情熱的な絵描きとして知られています。絵の具を生のままキャンバスにぶつけるような描き方、激しくそしてドラマチックな短い人生などからそう呼ばれているのだと思います。『ひまわり』や『星月夜』は有名ですね。 ゴッホが絵描きであったのはわずか8年間で、精神を病みピストル自殺をしました。絵が売れたのは一点だけ、最後まで弟の仕送りで生活していました。今では一点50億円を超える作品価格がついていますが、生前のゴッホには作品依頼のオファーも展覧会の企画もなく、したがって収入もなく、ただただ自分のために絵を描いていました、弟に支えられながら。 この椅子の絵は、亡くなる2年前、35歳の時の作品です。 私たちが絵を描くときには二つのことを考えます。『何を描くのか』と、『どのように描くのか』、です。 ダビンチや北斎のように依頼者や企画者がいれば、『何を』はすでに決まっていました。宗教のテーマだったり、版元が企画した名所絵だったり、です。 だから『どのように』の部分で近代までの美術の歴史は作られたのかもしれません。 ゴッホもまた『どのように』の部分で彼独自のスタイルを築いていますが、この椅子の絵から伝わるのは、ゴッホがこの椅子を描きたかったというその気持ちです。 ゴッホはいつも座っているこの椅子を愛着を持って描きました。 日々の慎ましい暮らしといった小さなものがたりを背景に感じることだってできそうなこの椅子は 『何を』の方が、『どのように』よりも優先することだってある、そのことを伝えてくれる作品だと思います。 皆さんの制作に結びつければ、宿題スケッチのモチーフに何を描こうかなと思う気持ちと、ゴッホが椅子を描きたいと思った気持ちはつながっているように思います。 //////// 以上 テキスト終わり。 実は、この頃、何を と どのように について考えていたのです。 STEPS ギャラリーの吉岡さんがいつも送ってくださる案内状と一緒にそれについて触れている文章があり、私にはジャストミートでした。 最近ボイスの映画を見て、ボイスがいっていることも、何を にフォーカスしている、と思いました。 何を、は、素朴なモンダイであり、同時に新しい今のモンダイでもあると思うこの頃なのです。 私は、何を描けばいいのか。何を描きたいのか。 どのように描きたいのかではなくて。 『どのようにを』渉猟していたら『何を』に出会った、ように作ってきたのではないか。 それでいいのかという思いがあるということです。 イメージについて、まずそう思う。 それで、バシュラールを読みはじめたりしています。 #
by hisakoinui
| 2019-06-15 11:26
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![]() ![]() 美術史5minutes 、先週は資料なしで、浜松市美でみた上村松園のことを、展覧会フライヤーをわけて話しました。 ![]() 葛飾北斎 1760~1849 下野黒髪山きりふりの滝 多版多色木版 38.4cm×26.1cm 1833年 //////// 浮世絵の続きです。 前回は、歌麿の美人画を例に、浮世絵とは版元が企画したプロジェクト作品だったんです、というお話でした。 とはいえ、浮世絵の評価は絵師の力で決まるのも事実です。 今回は絵師にフォーカスし、葛飾北斎を取り上げてみます。 葛飾北斎は、現代までの全ての芸術家の中で、世界ランキング10位以内にランクインしているただ一人の日本人と言われています。 北斎の作品で最も有名なものは、富嶽三十六景の中の神奈川沖浪裏ですが、私たちの教科書には、諸国滝巡りのうちの一枚『下野黒髪山きりふりの滝』が載っています。 富嶽三十六景も滝巡りも浮世絵のジャンルでは『名所絵』になります。美人画がブロマイドだとしたら、名所絵は風景ポスターといったところでしょうか。 北斎は70歳を過ぎてから、富士山の見えるビューポイントを旅したり、滝を巡ったりして作品を残しました。この作品を見ると、滝の臨場感よりも、デザイン性が強く伝わってきます。スケッチをもとに、滝を平面的に再構成したんだなと思います。もしも自分が滝を見にいったらと想像してみてください。こういう絵作りはなかなかできませんね。 こうした理由で、北斎の滝巡りのシリーズは、現代も、多くのグラフィックデザイナーに影響を与えているそうです。 葛飾北斎は自分のことを『画狂老人卍』と名乗ったり、60回以上引っ越したりしていて、私生活ではイっちゃってる人であったらしいのですが、実は大変ストイックな絵師でした。毎日毎日描いて描いて描いていたそうです。北斎漫画という名の画帳には、世の中のありとあらゆるものを見つめた、膨大な数のスケッチが残されています。(p.41) 90歳で臨終の時の言葉は、『もうあと10年、いや5年でもいい、生きさせてくれれば本当の絵描きになれたかもしれない』というものだったそうです。 #
by hisakoinui
| 2019-06-11 10:24
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少し前にピアノのことを書いたのは、そんな原稿依頼的なものがあったからでしたが、最近また似たような依頼をいただきました。 今度はお料理のことでした。 『思い出レシピ』というテーマで、たくさんの人の思い出レシピとエピソードをコレクションしている青島三恵さんからの依頼でした。 アートでもワークショップでも美術教育でもなく、原稿依頼が料理であるというのは、嬉しいことでもありました。 たくさんの自分、たくさんの乾久子がいることを、他者が認めてくれている。というか、料理好きな私のことを知ってくれていた人がいたんですね。 思い出レシピは大きく行って二つのカテゴリーに分けられます。 ひとつは、誰かが作って自分が食べさせてもらった料理。母の料理、夫の料理、姑の、息子の、恋人の、友だちの、、、と、思い出はたくさん。 もうひとつは、私が作って家族をはじめたくさんの人たちに食べてもらった料理。 私が青島さんに伝えたのは後者の方の思い出で、そのことについて今日は青島さんと電話で長くお話ししました。 聞いてくださる人がいると、こんなにも際限なく料理の話ができる自分に驚きました。ほぼ一時間喋りました。 子育て時代によく作った、私のオリジナルレシピ、『なんちゃってミートローフ』と『なんちゃってフルーツプリン』についてです。 保育園から子供達を連れ帰った夕方、キッチンは朝の洗い物だってまだ山盛りで、子供達は腹ペコで、美味しくてボリュームのあるもの食べさせたい。これが私の子育てと仕事の日々の、夕方の台所で、つまり、オーブンが調理してくれてる間に、お茶碗洗って、サラダと汁物作って、洗濯機回してができるレシピを考えたというわけでした。 青島さんは、私のレシピ通りに調理、再現してくださるそうです。それはすごいことだと思いました。 私の台所でしか生まれなかった私の料理を、誰かが作ってくれるということなのです。 料理研究家の醍醐味ってこんなところにあるのかなあと思いました。 ![]() 煮込みハンバーグ、ミネストローネスープ、白味魚のホイル蒸し、野菜サラダ、のようです。肉と魚それぞれあるのは食べ盛りの運動部の息子たちのためだったのか。。。 なんちゃってじゃなく少しは手をかけてる感じなのでこの日は来客があったのか。。。。 でも私の料理の雰囲気を伝えている画像ではあります。 #
by hisakoinui
| 2019-06-10 00:13
| ぐだぐだ
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5分美術史 第3話は浮世絵です。歌麿を例に。
熱海で見た北斎のことを伝えたいと思ったけれど、その前に、浮世絵のことを話しておこうと思いました。 ![]() 浮世絵 浮世絵とは、江戸時代に江戸を中心に発達した庶民の絵です。 肉筆画と呼ばれる一点ものもありますが、多くは木版画で量産されました。一枚の値段はとても安くてかけ蕎麦一杯と同じくらいだったそうですから、数百円というところでしょうか。 この作品は歌麿のものとして有名ですが、木を彫って版を作ったり、絵の具を調合して美しい色を出して摺ったりしたのは歌麿ではありません。歌麿は絵師であり、絵を描く人でした。彫るのは彫師、摺るのは摺師という専門職がいました。 遊女の頭の髪の毛の生え際の部分を見てください。 ものすごく細く繊細な黒い線で表現されています。 この細い線も、木を彫り残して作った線かと思うと、彫り師の技術の高さに圧倒されます。(木版画では彫り残した木の部分に絵の具が乗せられることは小学校で経験しましたね) 同様に刷り師もまた高い技術の持ち主です。 それでは歌麿はこの絵を描きたくて描いて、版画にしたいから彫ったり摺ったりを外注したのでしょうか。 歌麿もまた、絵師としてのオファーがあってこの絵を描いたのです。彼は美人画を得意とする絵師でした。 まずは版元とよばれる企画者がいて、こんな絵なら売れると考えた題材を絵師に描かせ、彫り師刷り師の高度な技術を使って作られたものが浮世絵です。 作品の左下にある「近江屋」の印が版元を表していて、今で言ったら出版社のようなもの。 右上には、扇、矢、花、扇の絵がありますが、これは描かれた女性の名前を表していて、扇屋花扇さんと絵から読むというお洒落な仕掛けがあって見る人を楽しませてくれます。 浮世絵は庶民のものですが、作品から伝わるように歌麿という絵師の芸術性は高く、大衆性(サブカルチャー)と芸術性を共存させ得た日本の美術はすごいと思います。お蕎麦一杯分のお金でこんなに素晴らしい芸術作品を身近に置くことができたなんて江戸時代は豊かでしたね。 ーーーーーー 江戸時代の版元のひとつ『蔦屋』は今のTUTAYAだよ、と話すと、みんな目がまん丸でした。 5分で浮世絵を伝えるなんてとても出来ない話であるけれど入り口には立ってもらえたかなというところです。 前回の受胎告知は、やはり女子が熱心に聞いてくれました。 #
by hisakoinui
| 2019-06-06 22:11
| 教える仕事
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5月21日火曜日 朝から強い雨で警報や避難勧告が出ている静岡県でした。 葛飾北斎の富嶽三十六景全46点の展示、MOA美術館は今日が最終日。 迷ったけれど雨をやませて午後の新幹線に乗って熱海まで。 MOAは世界救世教のことです。 長いエスカレーターを7回も乗り継いでやっと広い展示室にたどり着くMOA美術館。宗教おそるべし。 北斎の富嶽三十六景全46点全てを一度に見るのは初めてです。 最終日だけあって、案外たくさんの人がいました。 いかにも美術の畑という雰囲気で、線とか構図とか色とか造形的な観点で見ている感じの人たち。若いカップルたち、など。 おばさまたちのグループなどは、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、わあ保土ヶ谷だって昔はこんなだったのお?江尻って清水でしょ風強かったのねえ人が飛んじゃいそうねなんて声を館内に響かせていました。 私は、いかにものゲージュツ家っぽいおじさんの寡黙な鑑賞よりも楽しみながら見て回るおばさまたちの方が浮世絵の鑑賞のマナーとしては正しいように思います。浮世絵は江戸の庶民の芸術だったのだから。 と言いながらも、私もひとりで長い時間寡黙な鑑賞をしてきたのですが。 北斎は、やはり、うまい。画力が凄いと思う。 達筆だと思う。圧倒的だと思う。 柔らかい線も繊細な線も味のある線も強い線もまっすぐな線も、描ける。 それはやはり描いて描いて描いて描いて、いたからだと思う。 北斎の線が好きかというと、それはよくわからない。 例えば私はアメコミの線は実はちょっと苦手です。どんなにうまいイラストでもアメリカンコミックの線はどこか私を遠ざけます。 (だったらディズニーや手塚治虫はどうなるの?ということになってしまうと困るけれどディズニーの線は私の中にはない) その意味で、北斎の線はどうなんだろう。好きか嫌いか。 大好きではない感じがする。アメコミの線の真逆なのにそう思う。 デッサン力相当だけど真面目だなあとまず思ってしまう。 柔らかくて優しい線が描けるのは北斎のからだや心が柔らかくて優しいからではなくて柔らかくて優しい線を描く鍛錬をしたからではないかしらという風に見てしまう。 肉筆画の軍鶏図がありました。若い日の作品です。キリッとすっきりと二羽の鶏が描かれていました。 軍鶏図といえば伊藤若冲だけれど、若冲と比べてどうかというと、私は若冲です。あの過剰あの広がり、あの、どこかイっちゃってる感じ。好きだなあと思う。 北斎は画狂老人卍なんて自称してもいて、私生活はかなりイっちゃってたようですが、実はすごくストイックな人だったはずです。キワモノの絵でもストイックだと私は感じます。 逆に若冲の私生活は裕福でスタンダードで折り目正しい市民生活だったとどこかで学んだ気がします。 (でもストイシズムは芸術を極めるとも思う。マチスもジャコメッティもみんな。) さて富嶽三十六景に戻ります。 もちろん私は一つ一つを相当感心しながら見ました。だって本当にすごいのだもの。 そしてこの浮世絵版画の版元はどんな人物だったのだろうと思いました。 名所絵は浮世絵版画の中の一つのカテゴリーであるわけですが、そこに、富士山を持って来た人の企画力すごいです。 富士は日本人全員が知る山であり修験の地であり霊場であり美の象徴でもありとにかく富士が入っている名所絵のシリーズ物という企画を考えた人誰!?と思いました。 北斎はその企画の中で画中に富士を入れることを楽しみ、旅をしスケッチし、構図を考え、70歳までに培って来た自らの絵師としてのスキルすべてを投入しているのでした。楽しかっただろうなあ。 だらだら書きましたが、閉館時刻まで富嶽を楽しみまた7回エスカレータを下ってバスに乗って熱海駅。 熱海には駅前温泉という500円で入れる公共温泉があります。 駅前と名乗りながらほんのちょっと歩きますが、その昭和全開の風情といい番台のおばさんといい、源泉かけ流しのちょっと熱めのお湯といい、私の熱海はここにありのスポットですが、今日も私はタオルを忘れずリュックに入れて行った良い子でした。 帰りもまたこだまに乗って、午後8時には自宅キッチンでエプロンをしていた、熱海半日北斎の日でした。 #
by hisakoinui
| 2019-05-22 23:18
| みてきた展覧会
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授業はじめの美術史トーク、第2回目はダビンチです。 ![]() レオナルド・ダ・ヴィンチ 『受胎告知』 テンペラ・板/98×217cm 1475~80頃 ウフィッティ美術館(イタリア) 『皆さんは、キリストのお母さんが聖母マリアであることは知っていますね。 聖書によれば、聖母マリアは、処女のまま懐胎し、キリストを産みました。 ではマリアはどうやって妊娠したのか?それが描かれているのがこの『受胎告知』です。 マリアは、天使のお告げによって、キリストを身ごもりました。 作品の左側に描かれている背中に羽根のある優美な男性は、天使ガブリエル、今まさに空から降り立ってマリアに伝えています。「マリア様、貴女はただいまお身ごもりになりました」 右側の女性がマリアで、左手を小さく挙げてその手のひらで天使のお告げを厳かに受け入れています。 マリア懐妊の瞬間です。 ところで高校生の君たちは、赤ちゃんがお告げでもたらされたりなどしないということを知っていますね。 だから、この絵の主題を知って、そんなばかなとまずは思うかもしれませんが、絵を見ているとその反対に何故かとても敬虔な気持ちになりはしませんか。 それは何故なのでしょう。 マリアの着衣、天使の着衣、二人の表情、人体の表現、二人の位置と構図、背景の風景etc 画面をくまなく見てください。すべて圧倒的な描写力です。そして、ただ上手いだけではない、それに加わる『何か』があって、私たちはこの絵から、奇跡の瞬間を受け入れるおごそかな気持ちになるのです。この『何か』こそがレオナルドの才能と言えるでしょう。マリアの気品はレオナルドだから描けたのです。芸術の才能はこんなところに発揮されます。 私たちは一方で、受胎のメカニズムの奇跡、何億もの精子のなかのたったひとつが卵子にたどり着き受精するという生命の奇跡と神秘も知っています。科学の真実と対等な説得がレオナルドにはできたのです。 赤ちゃんは、いずれにしても『授かるもの』であるのだと私は思います。 そして芸術と科学は案外近いところにあるのかもしれないとも思います。 ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチについては教科書のp.51~53に大変詳しく紹介されています。 代表作は、モナリザ、最後の晩餐、聖母子と聖アンナ、白貂を抱く貴婦人 などです。 『受胎告知』は多くの画家によって描かれておりフラアンジェリコの作品も有名です。 聖母マリアは穢れを知らぬ女性の象徴として表現されますが、この対極にマグダラのマリアというイエスを愛し奉仕したもう一人のマリア(罪深い女性と言われる)もいます。』 ////// 1回目のモネの積みわら、スマホで5分のタイムキープして話したところ、時間切れでした。 五分という約束なので話は途中でおしまいです。 えーっ!と言ってくれた生徒複数いました。 後で数人の女子に、草の根で感想を聞いたところ、「ヨキヨキだったよ、先生』と言われました。 ヨキヨキはJK語で、良きかんじの二乗くらい良いよという意味のようです。わーい。 調子に乗って続けていこうと思います。 #
by hisakoinui
| 2019-05-14 12:11
| 教える仕事
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2019年4月×日 夫のピアノを見送りました。調律をお願いしてももう戻らないキイがいくつもあったのです。 捨てる、とか、処分する、と言ってもいいのかもしれませんが、モノ以上の存在であった我が家の古いピアノでした。ヤマハでもカワイでもなく、ASTORIAと楽譜台の上に金字のゴシック体で書かれていました。経済成長期のピアノの売れた時代、ヤマハやカワイに勤めていたピアノ職人さんたちが、仕事を終えてからまた自宅でピアノを手作りするということが浜松では起こっていたらしく、おそらくはその一台ではないかというのが、ピアノをひきとりに来てくれた業者さんのお見立てでした。 鍵盤が象牙であったのは知っていましたが、裏の響板は唐松で、今はもうとてもこういう材料は使えないですね、とも。 ピアノ作りの詳細など何も知らないし、ヤマハカワイにしても一台一台を丁寧に作っているに違いありません。それでも何かASTORIAが名も知らぬ一人の職人さんの愛情の元に作られた特別な一台に思えたお別れの日でした。 そのASTORIAがいた我が家の居間には、夏頃に実家のピアノを迎える予定です。 これもまたヤマハカワイではなく、クロイツェルというもの。クロイツェル社は零細ながら1949年創業の浜松のピアノメーカーで3本ペダルのヨーロピアンスタイルが特徴、今も愛好者はいるようですがこの会社ももうありません。 この古いクロイツェルにクリーニングと調律のお金をかけるなら同じお金で中古のヤマハを買ったらどうですかと音楽の専門の方にすすめられましたが、それはできないと思いました。 ピアノには(楽器には、と言ってもいいかもしれません)、作った人から始まり、所有した人、弾いた人につながるそれぞれの物語があるものです。 ASTORIAにもクロイツェルにもそれぞれの物語があって、その物語をこそ書くはずでしたがもう長くなってしまいました。 (ところで奈良生まれ大阪育ちの夫がピアノを習い始めたのは3歳だそうでその時にはすでに家にピアノがあったということなので、浜松の職人さんの手作りしたピアノがどんな販路で関西に行ったのか。浜松のピアノ産業の広さを感じます。) 綺麗にしてもらって音も整えてもらっての、マホガニー色のクロイツェルが待ち遠しい今です。 ////// 静岡市にあるギャラリーsensenciのオーナーの柴田彰さんが、ピアノにまつわるエピソードを集めて、小冊子を作って広めています。 先日ギャラリーに伺った時、そのお話を聞き、くだんの冊子も頂いて帰りました。 読んでみると、一台ずつそれぞれのピアノに家族の物語があって感動しました。 柴田さんが、乾さんも書いてみませんかと誘ってくださり、ちょうど夫のピアノを見送った後だったのでそのことを書いてみました。 柴田さんはピアノのエピソード通して見える様々な家族の肖像を大切に集めようとされていて、その活動は今始まったばかり、これから長く続けられるようです。 とても素敵なことだと共感しています。 #
by hisakoinui
| 2019-05-13 00:10
| 文化一般
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私の授業を受けてくれている高校三年生47名たちに向けて、新企画を考えました。
毎回、授業の初めに、教科書に載っている作品一つを選んで、5分間の短いレクチャーをするというものです。 いつも美術史は三学期にまとめてやっているのですが、二時間連続の座学はやる方も聞く方も大変だし、毎回ちょっとずつだと新鮮かなと思った今年です。 高校を出れば、机を並べて絵を描くことなどもうなくて、でも、美術と縁を切らないでいてもらうには、美術の素晴らしさをずっと感じていてもらうには、見る人としての実力をつけ、楽しみ方を知ってもらうことですが、鑑賞に時間を割くことがとても難しいという時間配分の問題もあります。 というわけで、乾久子の『美術史5minutes』が連休明けから始まります。 その内容をこのブログでも紹介していこうかなと思いたちました。 というのも、ウィキ先生には頼らずに作品の解説すべて自分が感じ考えていること考えてきたこと知ってきたことを自分の言葉で生徒たちに伝えようと思っているからです。 第一回はモネの『積み藁』です。 ![]() クロードモネは 印象派の画家として知られる著名な芸術家です。印象派というのは、19世紀後半にフランスで起こった芸術運動およびそれに属する人たちのことを指します。それまでの絵画は、アトリエの中で宗教や神話をモチーフにとてもアカデミックな古い手法で描かれていましたが、彼らは筆とパレットと絵の具を持って戸外に飛び出し、同時に物が持つ固有な色彩への囚われも捨て絵画に革命をもたらしました
教科書には、この作品の他にもう一点積みわらの作品が載っていますが、モネの描いた積みわらはこの2点だけでなく、彼は半 年の間に 25 点もの積みわらを描いています。 積みわらを、モネはそんなにも描きたかったのでしょうか。積みわらは、そんなにも魅力的なモチーフでしょうか?
モネが描きたかったのは、積みわらではなく、光そのものでした。 光を描く、とはどういうことなのか。
何かをそれらしく描くために光(明暗)を描く、それが絵画における光の扱いですしかしモネは積みわらを美しく描くためにどんな風に明暗をつけてかけば良いかと考えたのではなく、光自体を描くために積みわらというモチーフを必要としたのです。こう考えるとモネは印象派を超える画家だと感じます。歴史の流れからいえば、当時の革命児印象派も今ではもう古い絵画のジャンルですが、モネのこの、光自体を表現するというコンセプトは現代にあってさらに輝きを増し多くのアーティストに影響を与えています。
モネの代表作といえば『睡蓮』ですが、この連作もまた光の追求です。積みわらの比ではない大作の連続です。『睡蓮』のことも気にかけてみてください。 浜名湖ガーデンパークには、第一回浜名湖花博で作られた『モネの庭』と『モネの家』があります。ぜひ、訪れて見てください。 #
by hisakoinui
| 2019-05-07 15:41
| 教える仕事
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ゆれるアイデンティティ 鴨江アートセンターでのくじびきドローイングの会場と参加のみなさんの様子です
今回の会場写真の多くは、写真家の野島稔喜さんが撮ってくださいました。
![]() 撮影 Toshiki Nojima トークに参加の皆さんにまずはくじドロしていただいて全員に作品のエピソードを話していただきました どのエピソードも楽しく深く面白く どの作品を見ても、その言葉をお題にしてその絵を描いたんですね!と驚き、そしてなんだか嬉しい気持ちになります。 自分と人は違うんだということが嬉しい楽しい面白いそして深い くじドロは、そのことを明らかにしてくれます。 一人一人が、それぞれのアイデンティティを持っていることをとてもわかりやすく伝えてくれる、多様な価値どころかひとつひとつが全部別々の価値を持っている、そのことがわかる、そしてそのことが楽しいのです。 これが、ワークショップの後私が話した、くじドロとアイデンティティです。 「くじドロのアイデンティティ」の方は、ちょっと歯切れが悪くて「揺れて」しまいましたが。 #
by hisakoinui
| 2019-05-04 23:58
| 展覧会報告
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ゆれるアイデンティティ 終了いたしました。 みなさま、ありがとうございました。 初日はまず、くじドロ会場をスタッフの方々にお任せしてオーストラリアからのゲストの方々のシンポジウムを聞きました。 ジャン・モロイさんはイミグレーションミュージアムのこと、アリス・プンさんはオーストラリアのエスニックマイノリティという存在について、ロビンス小依さんは、アメリカ人の夫と、二人の子どもとともに浜松で暮らしている日常から見えることについて。 つまり、移民とか、ナショナリティにまつわるアイデンティティのお話でした。 登壇者が英語で話して逐次通訳がつくというやり方だったので相互理解への限界はあったと思いますが、色々お聞きして、知らなかったことや、これまでそうと気付かずに失礼な言動をしてきたことをたくさん伝えていただきました。 そしてもちろん、そうね、日本は単一民族国家だから気づきにくいよね、となってはならず、翻って日本の多文化共生について考えて欲しいというのがこの企画の主旨。日本にも日本人でない方々がたくさんいる、そのことをともすれば忘れがちな毎日でした。 それに、日本にもやがてたくさんの外国の方々が働きにやってくる、そのことははっきりと予測されているのに、そのための準備は十分ではないという現実があります。 そうしたことも考えられて面白い企画でした。 続く、くじびきドローイングでの私のトークでは、そうしたナショナリティのアイデンティティのことではなく、くじびきドローイングが伝えてくれるアイデンティティの話をしました。 まとめて書こうと思っていましたが、今日はここまでにします。 #
by hisakoinui
| 2019-04-25 00:27
| 展覧会報告
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