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2022年が始まりました。
年始のご挨拶をすることもはばかられるほどに時間がたってしまいました。 ことほど左様に怒涛であった年末年始ではありましたが、それはそれとして、強い気持ちで進んでいきたい今年です。 2021年は、清水フェルケール博物館での、ことばのまわり 〜港をあるく〜の後半からスタート、グランシップ・静岡県アーツコンベンションセンターでの大規模展示 ことばのまわり〜船とゆく〜は私には大きなことでした。 それとあいまっての、福島での個展 ことばのまわり 〜10年目をあるく〜のこと。福島への何度もの旅。 この旅と展示、たくさんの出会いも私自身を大きく変えてくれました。 ともあれ、ゆっくりとしっかりと振り返ろうとすればするほど何も手につかないので、今年はとりとめなく、書けるときに書けるところまで書いていきたいと思っています。 今は、どうして『ことばのまわり』なのか、ことばのまわりはどこなのか、そのことをとりとめなく考えています 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 #
by hisakoinui
| 2022-01-14 15:00
| 文化一般
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12月5日 朝からギャラリーに向かう。 ホテルの朝ごはんがイマイチだったと言うこともあるが、駅前のミスドに寄ってみる。 糖質制限、良質のタンパク質、豊富なミネラルカルシウムといった真面目モードからの解放、不真面目万歳。 フレンチクルーラーを切らしているだなんて本当にミスドなの?とは思ったが甘いドーナツたくさん買った。 ギャラリーに一旦荷物を置いて近くのコンビニへ。昨日までにEOSで撮った画像を出力。ファミマのプリントサービスは機械が古すぎて指が痛くなったけれど、思いがけずノートリミングの選択肢があった。今じゃ、キタムラにだってデフォルトにはないのにね。 今日は開廊していないので、誰もこないと決まっているギャラリー空間に一人。 プリントした写真を貼ったり付箋をつけたり。増やせば増やしたでバランスが崩れてあちこち貼り直したり追加したり、逆に削ったりと思いの外時間をかけての再構成となった。 ドーナツとお饅頭のお昼を食べて撮影。 撮り残しがないか、そればかりを思って撮った だが、なんの取り残しなのか 記録のための撮り残しだとすればどんな記録としたいのかが先なのだ それで急にわかったことがあった。 10年後を歩いている中で10年前がフラッシュバックする 今の福島の人たちの中で、旅をする私の中で そんな展示にすればよかったのだ だから記録はその流れで行えばいいのだ。 きちんとした記録集を作っておきたいと強く思った。 私はなんだか強い気持ちがこみ上げてきた。 この場所に立って私が伝えようとしていることについて強い思いがこみ上げてきた。 しっかりとした記録を残すことが私の旅の意味となるとも思った。 勧めていただいていた福島県立美術館へも、行きたいなあと思っていたせんだいメディアテークへも行かずにずっとギャラリーに居た。それそれは良い時間だった。 帰りのやまびことこだまでもドローイングをした。 ![]() #
by hisakoinui
| 2021-12-15 21:00
| 展覧会報告
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新聞が作る黒い壁の前で (続き) 福島でこの展示をしたくて、オフグリッドでの企画をしていただいたのでした。 赤坂先生は、このあたりまで、と3月18日ごろを差しながら、僕は新聞を読めませんでしたとおっしゃいました。 鉛筆で塗りつぶすと言いながら、グラデーションを作って見出しは読めるように制作しているのでおよその内容が想像できます。そのことが作品としてどうなのかはわからないけれど、内容がわかることでみた人が想いおこす記憶や、記事の事実への思いや考えを持つことはあるようです。 ![]() 赤坂先生にとっての重要は日付であったのかなと振り返ります。 津波被害者の捜索を打ち切って原発からたくさんの人が避難したけれど、この頃、海沿いの線量は低かったんですよとおっしゃる、それを作品の前で聞きました。 私は、赤坂先生だけでなく、たくさんの人に、この新聞の作品の前で、10年前のあの時あの頃何をしていたのか聞きたいなあと思いました。 新聞という素材は誰もが使うものですし、ありきたりだし、やったことだってベタなものだけれど、この作品はやっぱり私の311なのだと思います。時間がたつほどに、1ヶ月の塗りつぶしなのではなく311の全部とその瞬間に、なっていくように感じられます。 他者の評価はともあれ、私なりにやったこと、その行為の痕跡ともいえますが、よくやったと言ってもいいことだと展示を見ながら思います もっともっとたくさんの人と、この作品の前に共に立ち、たくさんの話をしたいと思います。 ギャラリートークは、次に旅の記録の壁へと移ります。 ![]() ![]() とりとめのない旅。まとまりのない展示。それはまさしく私のドローイングです。 とりとめのない線描。まとまりのない制作。 ![]() それはそうなのだけれど常に描くことだけは必要で、描いてみるとわかることがあって、だから毎日描いている。 旅も同じで、旅をしてみるとわかるから旅が楽しくてまた旅をしてしまう。 どこか一箇所について話してみてくださいと促されて、奥只見のダムに沈んだ村のことを話しました。 行ってみなければ想像できないことがある、というか、行ったからこそ想像できたことがある。 震災と奥只見が繋がっていないかというとそれはわからないことで、奥只見の歴史を知りながら震災を思ってしまったということはあって、そのことをつながりと言っていいのではなかろうか。 ギャラリートークでそう話せれば良かったのだけれど。 赤坂先生が、展示写真と、エネルギー問題を結びつけてくださいました。 原発もそうだけれど、常磐炭田も首都圏の人たちのためのエネルギー。 そして最後にドローイングの前に立っての鼎談。 赤のドローイング。 ![]() これは確かに私の一部であって、10年間の私を紹介する作品でもある。 だが、これはどうなのか。この展示は必要だったのか。私はきちんと考えただろうか。刺繍作品もそうだ。 空間に合わせたディスプレイではないのか。 私の制作は私なりにヒリヒリした感情から生み出したものでもあるかもしれないが、福島と向き合うという観点からすればこれらのドローイングは10年間私はのほほんとしていましたということを説明する作品にすぎません。その事実を伝えると言う意味では必要だったのかもしれませんが。 言葉のことを話しましたがうまく話せませんでした。 ことばのまわり 、そのことが本当はよくわかっていないのです。 ただ、ことばのまわり 、という言葉が好きです、そういえば良かったのかもしれません。 ことばのまわり、と言う言葉が、私のドローイングを説明できる言葉のように感じます、そう話せれば良かったと思います。 トークが終わって赤坂先生は帰っていかれました。 私などには身にあまる光栄であって、私一人の力では到底実現不可能なトークでした。 遅くなる前に会津に戻りたいと言う小林さんを無理に誘って、餃子屋さんに行きました。前回の旅のリベンジですが、考えてみたら、私の方から小林さんを強く誘ったことは初めてでした。 忙しくて立派な仕事をしている人には遠慮が勝ちます。だからなのかなあと思ったけれど、そもそも私は誰かに対して何かを強く要望すると言うことがあまりないのかもしれません。どうしても嫌だとか断固としてこれをやるのだとか言うことは自分の中でだけ起こることで、他者にそれを望むことはどれだけあったかなあと思います。 でもこの時の私は、どうしてもわがままを言いたい気分でした。 誰でもいい、なんでもいい、私が合わせるのではなく、私に合わせてほしいと思いました。 心優しい小林さんは、雪が降るのを気にかけながらも、餃子屋さんの1時間を私にプレゼントしてくれました。 美味しい中華でした。お話はすべて、ためになることばかりでした。メモまで取ってしまいました。 小林さんは吹雪の猪苗代をかいくぐって無事に会津に戻られました。 #
by hisakoinui
| 2021-12-14 23:07
| 展覧会報告
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12 月4日 (2) 英子に福島まで送ってもらい、ギャラリー近くのお蕎麦やさんで二人して遅い昼食。 英子と二人でギャラリーへ。今日は本来は閉廊日なので私が合鍵でビルとギャラリーのを開ける。 他に誰もいない空間で作品の説明をする。英子は真顔になって作品をみてくれた。 作品を見てもらうこと、それは本当にすごいことなんだとまた思う。 英子の去った後の小一時間をギャラリーで一人で過ごす。 旅日記の更新。少し撮影、などの作業。 やがてギャラリーの小林さんや動画撮影の赤間さんがやってきて程なく県博の小林さんも現れる。 今日のギャラリートークは人を入れずに収録のみ。公開は明後日、北方風土館からの配信となる。 トークのメインゲストである赤坂憲雄さんは夕方に仙台からの帰途に寄ってくださる予定で、その通りに赤坂先生来てくださったがお疲れのご様子でした。 急遽ギャラリーの小林さんも参加で3人の鼎談となりました。 まずは、私から展示の説明。 今年3月11日の常磐線の緊急停車の奇跡を綴ったあのテキストから始めました。 14時46分に停車中の車内全員で黙祷を捧げたあの出来事。 お疲れの赤坂先生は、隣に張り出してある10年前の3月11日の新聞をご覧になりながら、この記事が書かれた日は何もなかったんですよねと。その日、つまり3月10日は何もなかった。そういうことを、しっかりと言葉にしているのを聞いたのは初めてだったかもしれません。 ![]() それから、壁を移して、3月12日からの鉛筆で塗りつぶした作品の前に。 赤坂さんは、当時の日々を思い起こしていました。 東北学、東北をフィールドとする文化人類学のご研究をされてきた方であるので、被災の地にお知り合いが多くいらっしゃるのです。 いわきの海岸の方を歩いたことも話されました。 いろいろなことがこみ上げてくるような話され方で、私は、作品の前でこうしたお話を聞けることがとても貴重に感じました。 自分で言ってよいものかわかりませんが、この作品の持つ力がそうさせたのだと思います。そういう作品なのだと思っていいのかなと感じました。 ![]() #
by hisakoinui
| 2021-12-12 22:58
| 展覧会報告
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12月4日 昨夜小林さんから小松屋旅館のご主人、井出茂さんがライフミュージアムネットワークの企画のシンポジウムに出られていたことを伝えていただき、朝ごはんの後にお話を伺う。 原発事故後、全村避難になったけれど、旅館を作業員の宿泊所とするために自分一人でここに戻ってきた。 人のいない村というのはすごいものですよ。夏になっても蛙の声が聞こえてこない。田んぼに水を引かないからね。セイタカアワダチソウとか外来種の雑草がすごい勢いで茂ってくるしね。 村長がすぐにチェルノブイリに視察に行って、人を戻さなければ村がなくなってしまうとわかって、12月には帰還の呼び掛けをしたんですよ。それが良かったと思う。 川内村は被害が少なかったって言うけれどそんなことはないですよ。うちの旅館だって全部補修しましたよ。 線量のことは、政府の基準が厳しすぎると思う。ここのキノコは美味しいですよ。ぜひ食べてくださいよ。 あるお年寄りが、病院もないお店もない何にもなくなって不便になったけれど戻ってくると言った。家というのは、そこに住んでいる人間だけのものではなくて、そこから出て行って嫁いだ人にとっては実家だし、自立して行って出て行った息子たちにとっても家だから、いつでも帰ってきていいよという風にしていたい、だから戻りたいと言ったんですよ。 家をなくすっていうのは本当に辛いことなんですよ。だからみんななるべく早く戻ってきて元の村にしていきたいと。 井出さんの熱いお話は30分ほど続きました。 小松屋旅館は県民割の対象宿泊施設だが、私のような県外からの客も免許証を見せれば2000円引きとしてくれた。川内村が補助してくれるそうだ。観光客を呼ぼうという姿勢が熱い。さらに村内でのみ使えるクーポン券1000円も付いてきた。頑張る川内村だ。クーポンで味噌饅頭を求める。 9時過ぎに高校の時の同級生、英子が迎えにきてくれる。 英子とは高校で3年間同じクラスで親しかった。華やかな女子の目立つクラスの中、私たちはお地味グループで、真面目にいろんなこと語り合ったものだが、卒業後は少し疎遠になっていた。進路があまりに違っていたせいかもしれない。 英子はこの川内村から山を一つ越えた田村市に住んでいる。数年前の地元での同級会で再会し、福島県にいることを知った。その後、いわきに来た時に連絡して、一度泊めてもらったことがある。山の中の広い敷地に畑、ログハウスのような家に犬たちと猫たちと東大卒の年下のご主人と住んでいた。今回の旅では、コロナが気になり、会おうかとか泊めてねとか言えないままだったが、思い切って連絡してみたのだ。 川内村から英子の住む田村市側に降りるバスもまた1日に3本で、今日は本来は早朝のバスで磐越東線の船引駅にゆきそこから郡山そして福島と向かう予定だったが、英子に福島まで送ってもらこととなりありがたい。 久しぶりに会っても、英子と呼びチャコと呼ばれる関係がそのままで、楽しい。 私は働いてもいないし時間はたくさんあるから全部チャコに合わせるよという言葉嬉しく同時に普段の自分を反省する。忙しいということが人を疲れさせることを時々感じるこの頃だ。寅さんはいつも暇そうにしているけれどあれは相当人の役に立っている。 英子はしかし働いていないといいながら、教育委員をしたり地域コミュニティの様々なボランティア活動をしていることを知る。最近は、保育園の隣にある公園が荒れ果てていたからそこをみんなで綺麗で楽しい公園に作り変えたそうだ。 お金はいらないんだ、使わないから。欲しいものも特にないから。 すっぴんで髪も染めずに、昔と変わらぬ地味な服装の、シンプルで真直ぐな英子だ。 数年前に来て会った時もそうだったが今回もまた社会のこと震災のこと原発のことを話す。 財務大臣を主婦がやれば国家の財政は相当切り詰めらると思わない? 福島で作った電力を東京に送っているけど、送電の過程で3割になってるの知ってる?送電線の開発なんでしないんだろうね。ソーラーの蓄電器もそうだけど。 原発が絶対安全だなんて本当はわかっていなかったくせに先のことも考えずにやっちゃってたんだよね。 ほか、子育てのこと子どもたちの今など尽きぬ話で福島まで。 山の道、中通りを北に向かう道、電車の旅では見ることのできなかった風景を見る。 いくつか面白い風景のところに立ち寄ってくれた。 山の中に風力発電の風車が10基 ![]() ![]() ![]() これも福島の風景だ。 取り止めのない旅。 #
by hisakoinui
| 2021-12-11 21:00
| 旅の記録
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