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小川国夫の書いたゴッホについての文章を読みました。
ヴァン・ゴッホ 小川国夫 小沢書店 1982 ゴッホについてあちこちで書いたものをまとめたものですが、前半三分のニは、ゴッホの生きた街を旅しながらその時のゴッホについて小川国夫の思いが書かれている、半ば紀行文のような仕立てでした。 小川国夫というと、私の中では郷土の作家という認識です。母校である藤枝東高校の先輩で、著名な作家、藤枝文学館には著作と伝記の展示室がある人、でした。代表作のアポロンの島を、遠い昔に読んだきりで、他はあまり知りませんでした。昨年の夏、藤枝文学館でくじドロワークショップをさせていただいて、改めて小川国夫の展示室をしっかりと鑑賞したとき、この本の存在を知りました。 そうか彼はゴッホのことを書いていたんだとその時は思ったけれど、わざわざAmazonで買おうとまでは思うことはなかったのですが、先日たまたま、古書店八月の鯨で見つけて即買いしました。 こんな再会がいいなと思いつつ読み始めると、面白くてノンストップて読み切りました。 まず小川国夫の文章がとてもよかった。 穏やかで知的でやわらかく、藤枝のあの志太平野に注ぐ光が、文章の中にもあるようでした。 そして何より、ゴッホについての考察が、私がこれまで知って来たゴッホ論とは随分異なり、それもとても興味深く読みました。 小川国夫は、ゴッホの手紙を4年くらい読んでいたそうです。 私もゴッホの手紙は、みすず書房のハードカバーで全巻揃えているのですが、全然手をつけていません。何か、持っているだけでゴッホを自分の中に住まわせているような気になっていたかも知れません。 小川国夫は、故郷ズンデルトから、ゴッホの生涯に寄り添いながら、ハーグ、ロンドン、パリ、ラムズゲート、ボリナージュ、エッテン、ドレンテ、ヌエネン、パリ、と旅します。 もちろん私を含めたくさんの人がゴッホの住んだ土地としてら知って来た、アルル、サン•レミ、オーヴェールへも。 小川国夫に導かれながら、私は絵描きになる前のゴッホのことを詳しく知ることになりました。 #
by hisakoinui
| 2024-01-14 23:33
| 読書
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昨日見た三科さんの作品のことをまた反芻しています。
線を掴むというタイトル、描いてしまう衝動というチラシ内の言葉に惹かれて出かけたのでしたが、拝見し、圧倒されたのは、その三科さんの描く行為とともに、作品化されたその行為の集積物だったのでした。 線そのものは実はあまりよく伝わらなかったけれど、描いた行為とその量が圧倒的に伝わる展示でした。 ドローイングを伝える、ドローイングで伝えるというのはやはりこういう形になるのかなあとなんとなく着地出来ずにいます。 牡蠣の殻が複雑に入り組んだような立体造形の支持体を制作しているときも、作家は線を意識していたのか、あの形と線はどんな関係にあるのか、作家に質問すればよかったと思いますが、答えは多分作家の言葉の中ではなく作品の中にあるのでしょう。 ドローイングしながら無意識の線が描けたときとても嬉しくなります。 私の中の好きな線とはそういうものです。 だから造形すればするほどその無意識からは遠くなる。 でもその無意識の線を掴んだ感覚だけを作品にするのはとても難しいことです。 それはおそらく線という造形要素ひとつでは作品になりにくいからだと思います。 つまり線はいつでも副次的な存在なのです。 三科さんは圧倒的なドローイングとそれを使って形を作ることをされているけれどやはりそうせざるを得なかった、線を描くことよりも作品を作りあげるということが目的となる場合には、そう思います。 それは私の2021年の刺繍ドローイングの大作でも同じです。 もやもやがまだ続いています。 今日も手を動かそうと思います。
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by hisakoinui
| 2024-01-14 06:26
| 制作日記
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名古屋市民ギャラリー矢田で開催中の三科琢美さんの展覧会と木下晋さんとのトークに出かけました。線を掴むというタイトルに惹かれ、ドローイングについて木下さんはどんなお話をするのかにも興味があったからです。
三科さんは思春期まで酷いアトピー性皮膚炎に悩まされ、自閉の日々の中で生まれた作品を人知れずためていたのだけれど、美大に進学してから博士課程までその作品とは別の表現を続けていたそうです。 木下さんに出会い、大学で描いていたものは否定されたが、思春期に描いていた作品を認められて、以来、そのドローイングを続け発展させて来たという作家自身のお話をまず聴きました。 その後に木下さんのお話。 最後の瞽女や、ハンセン病の方、今はパーキンソン病の奥様などを鉛筆で濃く緻密に強く描く作品を、私は折に触れて拝見して来ました。見るたびに凄いと圧倒されて来ました。 トークを聞くのは今日が初めてでしたが、とても純粋で嘘のない言葉が次々と登場し、みて来た作品とシンクロしました。目先よりも、大きな芸術を思いとても求道的な方だと改めて思いました。 実は数年前に喜多方の宴席か何かでご一緒したことがあります。金沢まで夜のバスで帰られるという芸術家の姿をその時は見ました。まさか私のことなど覚えていらっしゃるはずはないと思いこちらから名乗りませんでしたが、トークの後に、どこかでお目にかかりましたよねと柔和な笑顔で声をかけていただき、さすが顔を描き続けている作家だと唸りました。 三科さんの作品からは多く学びました。 ドローイングを破ってコラージュすることは私も初期作品でやったことですが、サイズが桁違いでした。 大きさはそれだけで意味を持つと再認識しました。 毎日描くことを旨としていると話されていて、共感して聞きました。描かない日があると取り戻すのに時間がかかるという感覚は、私も常々持つところです。 昨年はくじドロにたくさん時間を使っていてまとまった時間ができたら描こうなど思っているうちに、遠くに行ってしまった何かがあるようにこの頃思います。だから、私も毎日描いていたいと、三科さんのお話を聞きながら思いました。 立体作品は、ドローイングした紙を溶かすか何かして立体にしたのかと思ったらさにあらず、まず不思議な立体を作りその表面にドローイングしたのだそうです。 やむにやまれぬ思いで生み出してしまったものを固めて立体にした方がいいなと私は思います。そうか、それなら私がやれば良いのでしょう。他者の作品から学ぶことはどんなふうにでも起こるものだと思いました。 #
by hisakoinui
| 2024-01-13 15:55
| みてきた展覧会
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今年度も、高校の講師の仕事で妄想美術紀行という美術史を拡大したような授業をやっています。
好きな美術作品を一点選んで、その作品と作者について、作品がある美術館について、その美術館のある街や都市について調べ、妄想でそこまで旅をする、という一連のことを、作品の模写も含めてイラストやコラージュも盛り込んでA 2イラストボードにまとめるというものです。 制作を終えて、今は、作品発表をしています。スクリーンに映して1人ずつ。 なぜその作品だったのか、その作家の人生や他の代表作、旅の思い出などみなそれぞれによく調べよく書きよく描いたというものばかりです。 クリムトの『接吻』は、日本人には、人気の作品のようですがそれを調べた女子生徒がいました。 タイトルに惹かれて調べたということでしたが、調べてみるとクリムトというのはとんでもない奴だということがわかったという内容に発展していきました。愛人が15人もいたらしい、しかも子どもは20人、認知しなかった子もいたらしい、この顔で信じられません、と、ネットから引っ張って来たクリムトの写真が紹介されます。逸脱して来たけど、面白い発表になって来たなと思っていたら、突然彼女は、先生は、接吻したことありますか?と私の方を向いて質問するではありませんか! え?研究発表中に私に質問?しかもその内容?美術史のことじゃなくて? たじろぎましたが、生徒たちが全員私を見ているので、これは答えなければなりません。 だいたい、結婚してて子どももいるんだからそんな経験あるに決まってるでしょ、とこころの中で思いながら焦り、 接吻ってキスのことだよね、と言いながら時間を稼ぎ心を落ち着かせ、 ありますよ、としずかに答えました。 するとその女子生徒はなんと、どうでしたか?接吻? と重ねて質問してくるではありませんか! ここはもう正直に答えるほかはありません。 キスするとね、相手のことが、もっと好きだなあという感じになります。 と私は答えました。 生徒たちが全員静かになってしまいました。 今年度で今の高校の勤務を終えることが決まっているのですが、最後の最後に、美術室でこんな赤裸々なことを話したんだなあと思います。 #
by hisakoinui
| 2024-01-11 21:26
| 教える仕事
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年明け、村田早苗さんが以前送ってくださった冊子をゆっくりと見直しました。 アートの言葉をTシャツに刺繍し展示する企画の記録集です。 言葉と刺繍ということでは私のやっていることとリンクするけれど、言葉自体の刺繍というと意味は異なると思いながら、刺繍は強い表現技法だと再確認しました。人の手の営みと費やされた時間が物語るものの強さだと思います。 村田さんの冊子のテキスト中に頑張る気持ちのバネになっているものがあると記されています。 それはある男性ギャラリストに『結婚できていて子どももいて家もあるのにアートをやるの?』と言われたことのようです。 その言葉の意味するものはこんな感じでしょうか。 あなたはもう充分幸せなんだから何を好き好んでこんなしんどい世界にいるのですか? そうしたところにいる人にアートなんて生み出せるのでしょうか? アートとは厳しい男性社会でしのぎを削る中での闘いであって暇な奥様の趣味ではないんですよ。 だからきっと、表現について真摯に考えている村田さんとの精神的な齟齬があり心に残ったのでしょう。 翻って私はというと、やはり結婚できていて子どももいて家もあるので、常々、先手を打って他者に言っていることがあります。 『お菓子作りとガーデニングで幸せだったらどんなに楽だろうと思うんですが、やりたいんですよアート。なんでかな?やってないとだめなんですよね。』 別にアートじゃなくてもいいでしょう。 仕事にしても、夫に十分な収入があって働く必要がなくても働く女性はたくさんいます。 男であれ女であれ働くことは当たり前のことだし、表現することも同じだと思います (しかし先の先手は、お菓子作りとガーデニングという言葉の比喩で表される女性たちに対して尊大であるのかもしれないという別の気持ちも働きますがそのことはひとまず置いておきます。) 少し前のことですが、実は私も、ある若い男性アーティストにこんなことを言われました。 『乾さんは、息子さんたちみんな立派に育ってお母さんとしてすごく幸せなんだから、アートのことは別にいいんじゃないかなあ。』 それはそうかもしれません。 でも、別にいいとはどうしても言えません。 やはりこれは業というものでしょう。 自ら求めてこんな大変なことをやり続けているのは本当に業の深いことだと思います。 #
by hisakoinui
| 2024-01-10 23:00
| 制作日記
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